--------

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

2010-07-07

5年後の七夕に

今日、高校時代の男友達から、メールが届きました。
一昨年の同窓会に、私は用事で参加できなかったのですが、友達を通じて互いの連絡先を知り、時々メールをくれるんです。20年ほどのブランクがあり、顔も会話もしていませんが、昔の気心を知っているだけで、身近に感じるのは不思議なものです。
そう、中学で、同じクラブに入っていた友達とも、年に1度会うかどうかですが、気心を知っているせいか、互いをみとめ、互いを叱り、互いに励ましあい、何十年経っても、「友」は、素敵だな~と感じます(^-^)

その男友達とメールのやりとりの中で、「私らってタイムカプセル(卒業式などに、10年後や、20歳になった自分にむけて手紙を書き、ビンにつめ、校庭の木の下などに埋め、10年後や20歳になった時にみんなで穴を掘って開けるなど)したっけ?」と私が聞きました。
『してないと思うで~。今からする?』と返事がありました。
「う~ん。あのころは夢にあふれていたけど、今、10年後の自分に手紙を書くって、ちょっと現実的な視野でみそうでひるむな~」「いまさら集まって、どこの土に埋めるん?」「空けるころには、生きてなかったりして…」なんてやりとりをした末、結局、「5年後の自分に」というテーマで、手紙(メール)を書き、相手に送信し、5年間管理してもらい、5年後の今日七夕の日に、また、自分が書いた手紙(メール)を相手に送り返してもらう!ということを提案しました。
つまり、私は、今日、5年後の自分にメールを送ったわけです。それを、5年後の七夕に、彼から送り返してもらうということです。
私も、「彼の5年後の僕へ」というメールを預かりました。そして5年後の七夕に、彼にそのメールを送り返してあげるのです。
データー紛失などの事故に関しては、責任を感じたり、相手を責めるとかはなしで、互いを「許す」こと!!が条件です。

なにげない思いつきの中でのやりとりでしたが、5年後に向けて目標を再確認出来ましたし、今の自分と、なりたい自分について意識することで、自分が今求めているものや、恐れているものも明らかになりました。同時に彼の中での同じ物もなんとなく感じましたから、同志といいますか、目指すものはそれぞれ違うけど、なんだかひとりじゃないような、仲間がいるから勇気が出る!みたいな… とっても元気が出ました。
メールの最後には互いに「ありがとう」という言葉を何度も何度も使っていましたから、ひょんな1通のメールが、思い出に残る素敵な1日にしてくれました。

古くからの友人に、たまに会うと感じることですが、久しぶりに会う友を通じて、自分と会っているんです。
友を介して、昔の自分を見、今の自分を見ているんです。友(とも)と共(とも)に…

改めて、人との縁って大事だな~素敵だな~と思いました。
時には、家族が…、時には友達が…、時には見ず知らずの人が、時にはテレビの1シーンが、自分の明日を左右するきっかけになることだってあるんですもんね~。

司馬遼太郎の文章に書かれていました。
「21世紀に生きる君たちへ」という題で、21世紀は、発展をとげた素晴らしい世の中になっているだろう。と。しかし、忘れてはならないのが、自然の中に人間も生きていること。大きな存在に生かされているということ。人間は、大自然の一部であること。おそらく、自然に対しいばりかえっていた時代は、21世紀に近づくにつれて終わっていくにちがいない。最後に、君たちの未来が、真夏の太陽のようにかがやいているように感じた。と、原稿用紙10枚ほどで書かれている文章でしたが、中には、いつの時代においても欠かすことのできない心構えや人への思いやりなどについても、書かれていました。

会ったことのない歴史上の人ですが、愛情のこもった手紙を受け取った気持ちになりました。


5年後の私へ
お返しは、できていますか~?

















2010-07-03

お釈迦様の手の平で

最近、気分が沈みがちでした。
原因は他ではなく、自分自身の「心のわがままさ」に、ほとほと嫌気がさした。ってところでしょうか?

私は、物心がついてから、「頑張ること」「辛抱すること」「諦めないこと」「常識的にふるまうこと」「努力すること」「人を悲しませないこと」そういうことが前提だと思って生きてきました。

それらを実行するために、行動し、言動を考え、それらを実行出来なかった時には、自分を責めたり、出来なかった理由を探しました。

例えばアルバイトを辞めたいな~。なんて思うと、「頑張らないと!」「辛抱しないと!」「辞めちゃだめ!もっと大変な仕事をしている人だっているんだから。」「自分の気持ちではなく、もっときちんとした理由がないと辞めてはいけない。」「せっかく育ててくれた店長に対して申し訳ない。がっかりさせちゃうかも。」なんてね。
と、その瞬間から、頭の中でさらに続けられない理由探しが始まって、あげく結局辞めるんですよね。
時には「前向きな気持ちで…」「合理的に考えて…」「その方が意義(価値)があるから…」なんて言葉で鎧を着せて、行動を選択してきたことも多々あります。

それって、そこだけ見て言うと「考えた結果」だけど、見えてない心の中を覗いてみると、実は「不平と不満」が渦巻いているんですよね。
バイトを辞めることが良くない。不平不満の塊だ!と言うことでは、ありません。「あっ、自分には合わないな~もっと違うバイトを探そう」でイイと思います。そのとき、その場合に、心が無意識下に、どう動いているのか?ということです。

私が沈みがちになっていたのは、そういう無意識下で、「不平不満」の自覚がなく、「○○だから」なんて理由に隠れて堂々と過ごしてきた数々のことを思い出したからです。

先日、伯父が亡くなりました。
お通夜の日に、昔のアルバム見たり、懐かしい話を親戚でしていました。
子供は大きくなり、大人は歳をとり、数年ぶりに会った親戚や、新しく家族を持った親戚もいたり、結婚式以来、始めてゆっくり会話するといった人もいました。
こういう時って、「昔はこうだったよね~」なんて会話や、「○○ちゃん、あの時そう言ったじゃない~」なんて言われて、「そうだっけ?」「覚えてないな~」「嫌だ~」と言う場面もありました(^-^)。
普段とは、別の視点で自分を振り返ってみたり、「人」って変わるな~なんて改めて感心したりでした。

私は、自由に生きてきました。もちろん、我慢もしてますよ~(^^;)。でも、やりたいことに妥協せず、これだ!と思えば行動し、違う!と思えば結果的に止める。昔だったら、ありえませんね。農家に生まれれば農家を継ぐ。親が決めた人と結婚する。戦争に行く…。その時代だったら、とんでもない放蕩者です。好きなものを食べ、味のないものに不満を言い、好きな服を着、持ち物にこだわり、ダサいや古いと文句を言ったり、親に反抗し、自分のことを棚に上げて先生に文句を言ったり、気の合う人やら、合わない人を決めていたり、自由な道を選び、自由が無いと権利を主張する。選択肢を探す。もっともっとと…今の時代では、普通かと思うことですが、「幸せ」と言う名のもとに、沢山のものを探し、貪り、掴んでは違う!と言って捨てたり探したりを繰り返してきました。
それも、悪いとは思いません。無智であったために、それらを繰り返しましたが、何かに気づければいいんじゃないかと思うんです。

今思うのは、わがまま放題に生きてきた自分は、きっとお釈迦様の手のひらで、あれやこれやに不平不満をつけ、まるで小さい子供が、あれでもない!これでもない!気に入ったおもちゃが無い!とダダをこねている様子。『これだね~(^-^)』と差し出されても、見向きもせずに自分の我を通し、ひたすら探している。そんな感じなのかな~って。

それでも、その手の平をひっくり返さずに、くるくるポイッと飛ばされずに、手のひらでパチンと叩かれずに見守っていただいてるんです。きっと「かわいいな~」って、私たちを見てくれているんだと思います。
そして、そんな気持ちで自分をみようと思いました。自分の心なんて、本当に自分か?って思うくらいに手がつけられずに、気まぐれなものです。でも、そんな自分の心を、否定したり、責めたり、うんざりするのではなく、「かわいいな~」って見続けることって、幸せのコツだと思うのです。ほら、身近にいませんか?そんな人。「自分を大切にする人。」「自分を愛せる人。」そういう人って幸せそうで、運がいいと感じませんか?

「頑張ること」「辛抱すること」「諦めないこと」「常識的にふるまうこと」「努力すること」「人を悲しませないこと」そういうことに必要以上にとらわれないで、自分を「かわいいな~」「えらいえらい」って許してあげるといいみたいですね。なかなか難しいですけどね~。「頑張らなくていい」「努力しなくてもいい」そういう意味ではありませんよ。そう出来なかった自分を責めることはない。と言うのです。
自分を責めたか、許したかでは、出した結果や行動が同じでも、次の行動や意識に大きな違いが生まれると思いますからね~。
今後は、「自分の許し方、愛し方を」もう少しさぐってみようと思います(^-^)♪





2010-06-22

土の中のこと

以前、車で20分くらいのところに、畑を借りていましたが、家の近くの畑が順番待ちでやっと空いた!と農協からの知らせをいただき、今年の春から、新しい土地での再スタートとなりました。
この場所は、ついこの間までガレージだったため、土は砂場のような土で、30センチも掘ると、下から固~い粘土層が現れます。水はけが悪く、雨上がりの日には、長靴で行かないと、靴がとんでもない状態になってしまいます(^^;)。
前に使用していた畑は、先に使用されていた方がいらっしゃったので、始めたときから栄養の豊富な柔らかい土でした。でも、今度は、土作りからのスタートです。「今年は、収穫は期待できないな~。まずは土つくりから!野菜は半分にして花を植えよう♪残りの半分は、栄養がそんなに要らないで育てやすい、サツマイモやカボチャなどを育てよう!!」と思いました♪

あれから3カ月…
同じように春から始められた周りの畑は、順調に野菜が実をつけ、青々と茂ってきています。トマトもピーマンも枝豆もサツマイモも元気よく伸びています!! 
それに引き換え、うちの畑は… サツマイモは1度は枯れかけて、もうだめだな~ 抜かなきゃ腐っちゃったかな~と思いきや、どうにかやっと根をつけてくれた感じです。
カボチャは?というと、日に日に葉の面積が虫に食べられていってるようで、小さくなっていき、やせ細り、ついに茎までやられてしまいました↓早朝に少し土を掘ってみると、名前の知らない大豆ほどの虫が数匹根元から茎にくっついていました。苗は5本ほどありましたが、すべて虫さんに召し上がっていただいた結果となりました。

数年前に畑を初めて始めた頃は、害虫は見つけたら退治し、唐辛子を植えたり、牛乳やタバスコを薄めて噴射したり、害虫退治に色んなことを試してみました。でも、ある時、それは逆効果?むしろ現状を悪化させてる?と思うようになりました。
見えている土の上の部分なんて、全体のほんのほんの1部分なんですよね~。害虫を退治しても、またどこかからくるし、虫にやられたしまった苗を引っこ抜くと、害のなかった丈夫な苗に虫さんたちは次々に移ってくるんです。ですから、ある程度は召し上がっていただいた方が被害が少なくすむ?っというか、5分の1残れば上出来!くらいの気持ちで、育てることに決めたんです。私は、農家ではありませんから、収穫量にこだわる必要もありませんし、のんびり楽しみながらやればいいんです♪ 砂場ほどの小さい小さい世界の出来事ですが、生命や自然のすごさを感じさせられます。

そんなうちの畑ですが、よその畑のような勢いはなく、野菜も、なんとか命を繋いでいる?ような感じなんです。「まっ、今年は仕方ないな~」と思いつつ、なんでよそは、同じように始めているのに、あんなに苗に元気があるんだろうか? マジマジと土を観察していると、ナメタケのようなキノコがいっぱい生えてきているんです。あわてて土の中を掘ってみると、白~い繊維状のものが…カビ?
水はけが悪いし、根が腐っちゃうのかな~ だから元気がないのかな~ 虫じゃなく土ごと茎が腐ってしまったのかな~ 変な菌が発生しちゃったのかな~… なんて思い、がっかり↓ 家に帰って色々調べてみると、これは、腐敗ではなく、農薬のない土が、自然に発酵して、良い土になっているということでした。 「よかった~」
確かに、葉が青々と茂っているから良い!とは言えないんですよね。実のなる作物なんかは、実に栄養がいくように、あまり葉を茂らせないように肥料を調整するんですね。まっ、だからといって、うちの畑は合格!というわけではないのですが、あれこれ、とやかく心配したり頭を抱えたところで、それはちっぽけな次元。大いなる自然の営みの中に、人間が首を突っ込んでいるだけのことなんですよね。

隣の畑と比べたり、野菜作りマニュアルを読んだって、これがいい!あれがいい!と聞いては実行したり… でも、答えはそんなところにはないんですよね。なんだか子育てにも似ている?
見えているところは、ほんの一角。

見えない土の中では、色々なことが起こっているんですよね。
見本のように育たないから悪い土? 元気がないのは、何が問題?土?苗?私? 薬が必要? 消毒? 害虫がいるから?誰のせい?

でもね~。食べれるような実が生ることが、そもそもは栽培の目的かもしれませんが、それは、1つの結果なんだと思うようになったんです。(もちろん、農家ではないからですが。) 人間が、おいしく、できるだけ沢山食べれるように栽培しようとするから、難しくなっちゃうんですね。野菜の天命は、人間に食べられること? 虫に食べられることもあり、実を落とし種となり、鳥に食べられることもあり、新たな芽を出すものもあり、大雨で折れたり腐ったりもありますが、すべて、自然な成り行きなんですよね~。

土を作るのは、本来人間ではなく、微生物です。
野菜を成長させるのは太陽と水です。
虫は、花粉を運び、実を生らせ、土にフンをし、活性化させます。
栄養の高い土には、虫が沢山住んでいるはずですし、鳥は虫を食べに来ます。

虫を駆除し、土に除草剤をまき雑草を生やさない、生育するように肥料を施す。これを素人が少しかじったくらいで真似をしようとすると上手くいかないんです。

おいしい実が沢山食べれたらうれしいな~♪という気持ちではじめた畑でしたが、今は、少し変わってきました。実をいただくよりも、もっとスゴイことを、小さなものたちに教えられます。

目を覚まさないといけないのは、人間が自然を支配するのではなく、自然のもと、おひさまの下で恵みを受けて生きていること。

うん? 子育てもやっぱり似ているな~♪
育てているのは、親(だけ)じゃないんですね~(^-^-^-^-^-^)。


 









2010-06-18

目方(めかた)

「めかた」と言って、伝わらないない世代がいらっしゃるんですね~(^^;)
よくよく振り返ると、私も実際は使わない言葉かもしれませんが、よく耳にした言葉です。体重を量る時や、お肉屋さんでお肉を買う時など、「めかた、なんぼ?」(重さは、いくら?)と大阪弁では言うんですけどね~。めかた=(はかりではかった)重さ、を表す時に使う言葉らしいです。

さてさてここで、またまた心の話にまいりますが、「心のめかた」について考えてみました。
そもそも、心なんかをめかたにかけることなど出来ないですし、重さで表現すると言った習慣もないような気もしたのですが…、「待てよ?!」ときどき表現しますよね~!「気持ちが重い!」とか、「軽いノリ」なんて!
でも、まさか数値で表すなんてことは… そういった秤(はかり)は、残念ながら見かけたことはありません。
何故でしょう? 
「0(ゼロ)目盛り」が、人によって違うから?
心だけ取り出して、はかりに乗れないから?
な~んて真剣に考えてたら笑われますね(^-^)♪

でも実際には、空気が重いとか、軽いとかって言うのは、重さと言うよりも圧力とか、密度っぽい感じがするのですが、どうでしょう?
イライラしてたり、怒っている人のそばに近づくと、なんだか空気が厳しい感じ~~(>。<;)
失恋しちゃった、がっかりしている友達は、しんみり沈んでる感じ…(´。`;)
なにかイイことあったお母さんは、ウキウキ楽しい感じ(^O^)♪
こういうことって、わざわざ聞かなくても、空気や雰囲気でわかっちゃうところありますよね。
それが、わからないと「KY(ケーワイ=空気読めない)!」なんて言われたりしちゃうんですね。(^^;)

きっと、怒っているときは、怒りのエネルギーの粒子を!笑っているときは、笑いの粒子を!悲しいときには悲しみの粒子!どこからか出しているんだろうな~(^-^)。 
粒子が増えれば増えるほど、密度は濃くなるし、1つの粒子のエネルギーが大きくても、圧力的なものを感じます。つまり感情は、エネルギーを生むんですね。ひょえ~~
口に出さなくても、心で思っただけで、粒子が自分の体から放出されるみたいです。エネルギーが発生するようです。

例えば、長く悩んでいる人は、胃が痛くなったりしますが、そういう人は、胃のあたりから、粒子が出ているんです。
体に不調が出たときは、痛くなった個所にエネルギーが滞留していることが多いです。初期の頃なら、自分でさすって治ることもありませんか?子供のころの「痛いの痛いのとんでいけ~♪」もそうですし、昔から「手当て」というように、お母さんに撫でてもらったら治った!なんて体験ありませんか?
お母さんが、子供の痛みや辛さを治せるのは、これが「外気功」の基本と言えるかもしれません。理論を説明しても、とっても原始的で簡単ですが、変な話、大っ嫌いな人の痛みや辛さが同じ方法で治せるか?と言うと、多分多くの人は難しいですね(^^;)。
何故?何が違うのか?と言うと、目方(め・かた)=観方(観るための眼・方法)が違うからじゃないかな~
多分多くの人は、大切な人を観る眼と、大っ嫌いな人を観る眼とでは、心のめかたは、違うからです。(そうじゃない人も、もちろんいらっしゃいます)
曇りのない眼。う~~ん。難しい~~ずいぶん色んなものを見てきましたしね~(^^;)、流せばいいのに、心にぶらさげて生きてまいりましたm(--)m
めかたを減らすために、日々心のダイエットに励んでいる次第です。




































2010-06-14

風見鶏(かざみどり)

手押し相撲って、いうのかな~?
二人で向かい合って、お互いの手のひらと手のひらを押したり引いたりして、倒した方が勝ち!!という遊びです。
今時の子供も、そんな遊びをしているんでしょうか(^^;)?
昨日、そんな遊びを教えてもらって、子供と遊んでいたのですが、なかなかおもしろい♪
全力で押そうとすると、スルッとかわされて、こちらが倒れてしまいますし、ゆっくり押そうとすると倒せないし、また肩をカッチリ固めて防御すると、逆に相手の押しをまともに受けるんで、倒されてしまいます。相手の攻撃には、ある程度体をゆるめて、肩甲骨と膝で衝撃を吸収した方が逃れられるんですね。
こんな単純な遊びですが、これは、スポーツにおいての体の使い方のヒントになりますし、人間関係の心の持ち方にもヒントになるな~と思いました。釣りや釣りゲームでの魚の釣り上げ方でも、似た感覚を体感できるんじゃないかな~(^-^)♪

人間関係において例えると、相手からの大きくor重くor強く感じる態度や言葉や空気に対して、こちらが、まともに体を張って向かい討とうとすると、すごいエネルギーが必要となります。それとは逆に、こちらが大きくor重くor強く感じる態度や言葉や空気を、持って接していくと、相手は、逃げて行ってしまうか、それに勝るエネルギーで立ち向かってきますよね。どちらにしても、相手に勝るエネルギーで挑むには、限界がありますし、第一疲れます(^O^;)
先日のブログにも似たことを書きましたが、打ち勝つ強固さよりも、さらっと流せる、目づまりのないフィルターのような心が、楽なんじゃないかな~。心のフィルターに目づまりがあると、なかなか物事を真っ直ぐ素直に受け取ることが難しくなるみたいです。このフィルターに引っかかった目づまりを取り除く方法の1つが「記述式内観」という作業になるのですが、目づまりがひどいと、相手やまわりのエネルギーの衝撃を受けやすく、イライラしたり、腹が立ったり、落ち込んだり、振り回されたり…となってしまうわけです。そのうえ、相手も目づまりをなんとなく感じてしまうんで、目づまりさんと目づまりさんが絡み合うと、やっかいになるんですよね~。

わかるんだけど、なかなか簡単にはいかないですよね~。なんて思いながら、日ごろ生活の中で、なにかいいヒントはないかと探しているんですが、「風見鶏」ってどうでしょう?
風見鶏は、風が吹く方向に向きを変え、風のエネルギーを有効に使い、エネルギーを生かします。立ち向かうと折れますし、風の方向に向くだけでは、問題は起こらないかもしれませんが、特に何も起きません。風の強いエネルギーを、すっぽり受け入れ、そのエネルギーを有効に原動力に変えるのです。こんなつまらないことで感心するのは、私だけかな~(^^;)。
そうだ!野球の試合で、0対10なんかで大差をつけられて、半ば諦めムードの時に、1つのきっかけに乗っかって、0だった得点が、別人チームのようにエネルギーを得、挽回し、最後に逆転で勝った!なんていう話、もしくは経験はありませんか?なにかのきっかけで、なにかのエネルギーにのっかって、勝利を得た!!というような♪

ここで、風見鶏さんに学ぶのは、自分の我で動いていない点なんですね~。自分だけで動こうとすると、すごいエネルギーが必要ですが、風という、すごいエネルギーにすっぽり入り、それを味方にし、気がつけば自分がすごいエネルギーを風と共有していることです。風にも劣らないパワーです。

何かを成そうとするとき、やはり自分一人では、限界がありますが、風見鶏のように、自分以外のエネルギーを尊重し、共有し、共に生きる。どこかヒントにしたいな~と思います。







プロフィール

そわか

Author:そわか
大阪で、気功、整体、内観研修を行っています。
現代人に多い、ストレスや、自律神経に焦点を当て、心と身体の両面からアプローチする方法で、日々施療を行っています。
また、記述式内観という方法で、トラウマや人間関係や子育てにおける悩みの部分を解決するべく、本来の自分らしさを取り戻しポジティブに生きるといった研修を行っています。
2人の娘を持つ、ママヒーラーです。

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
リンク
RSSリンクの表示
検索フォーム
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QRコード
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。