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2010-08-03

句読点

子供の宿題を覗いてみると、歴史を勉強していました。
「この詩文は、誰がかいたでしょう?」などと言う問題などがありました。
う~ん…???
もうすっかり私は、忘れていました。
色々思いだしても、頭に浮かぶのは、百人一首の数句です。
「鳴かぬなら~鳴かせてみよう ほととぎす♪」
これは、百人一首ではありませんね(^^;)
まぁ~そんな次元です。
自分をかばうわけではないのですが、古い詩文は、情景がわかりにくくて、記憶に残りにくい。
「ありにけり」  あるのか、ないのかわかりにくい。
古い詩文ほど、句読点がないので、わかりにくく思います。
なんて、思いながら、古い詩文を読むと、意外とどちらの意味にも取れることが多いんですね。
例えば、私が「はかない」のか、花の命が「はかない」のか、どっちなんだ?と思うような詩文がありますが、これに正解があるんだろうか?と思います。

そう。
ほんとうのことは、言葉や文字では、表現できないんもんなんですよね。
「伝える」こともそう。
数字や文字を伝えることは出来ても、景色や、色や、気持ちなんて言うものは、言葉にすると、時どき嘘になってしまったりするものです。
子供に太陽を画用紙に描かせても、太陽を赤で色をつける子もいれば、黄色の色をつける子もいます。そんなものだと思います。
「私」がそう思うこと。のようです。

現代に近づくにつれて、詩文に句読点がつくようになったように思います。私は、文学のことはわかりませんが、人々の心の恐れが、詩文に句読点をつけるようになったんじゃないかと思います。
感じることを、ある一定の枠に当てはめて、文字をくくるようになったんじゃないかと思うのです。
自由に感じることを恐れて… 

いつごろからでしょう~?
規則や、常識というものが生まれたころからでしょうか。

言葉は、便利なものです。
他の動物と違い、人間が地球上で発展を遂げた理由に、言葉を手段にしたことが、1つあげられる。と思います。
電化製品なんかも、とても便利です。使用することが当たり前になっていて、いえ、当たり前になりすぎてしまって、本来の目的を忘れてしまうほどです。壊れた時にはじめて、気づくほど、当たり前です。

つまり、使えば使うほど、便利になれば便利になるほど、忘れてしまうものなんじゃないかと思うのです。
大事なことを。です。
ほんとうのことを。です。

古い詩文=私にはわかりにくいと感じる詩文は、頭で理解しようとするからわかりにくいのかもしれません。
な~んとなく、その詩文に浸ることが、答え探しではなく、その答えなのかもしれません。

ときどき丸い目で、チンプンカンプンなことを話す子供の言葉にも、同じものを感じます。
正解の答えなんかは、重要なことではないようです。大人がまともに答えようとすると、丸い目は困惑した表情になるでしょう?
わからないでいるのは、丸い目の子供ではなく、何者かにとらわれ、見る目を失った大人の心かもしれません。












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プロフィール

そわか

Author:そわか
大阪で、気功、整体、内観研修を行っています。
現代人に多い、ストレスや、自律神経に焦点を当て、心と身体の両面からアプローチする方法で、日々施療を行っています。
また、記述式内観という方法で、トラウマや人間関係や子育てにおける悩みの部分を解決するべく、本来の自分らしさを取り戻しポジティブに生きるといった研修を行っています。
2人の娘を持つ、ママヒーラーです。

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