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2010-07-14

分かれ道

ここ数日の間の大量の雨で、畑の野菜が気になって、今日、雨と雨のわずかな隙に、畑を見に行きました。
大きく成長したトマトなんかは、茎が5円玉くらいの太さがあるので、大丈夫だろうと思ったのですが、それでもものすごい豪雨だったので、折れていないか心配もありました。
実もすっかり赤くなっていたので、収穫しました(^-^)♪

DVC00003.jpg

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さて、先週くらいに芽を出した小豆や黒豆の苗はどうでしょう?
茎の太さは、つまようじくらいしかありません。根もまだ十分には張っていないはず(´~`;)
「よかった~」

DVC00006.jpg

不思議だな~。細い細い茎なのに、この豪雨に負けず折れないなんて…
生命力の成せる技(☆O☆)!!
細~い糸のような数本の根が、細いのに、数日の豪雨にも負けない枝を支えたと思うと、感動ものです。
葉っぱも、そうです。
この雨だと、紙はボロボロ。ビニールだってめくれあがってしまうでしょう。
やはり、支えているのは、生命力。
正体は、目に見えない不思議なエネルギーです。

普通、スーパーで売っている果物や野菜は、長い間放っておくと、腐ります。
でも、無農薬で育てた野菜は、腐るより枯れていくそうです。
残念ながら、私は、実験をする前に食べてしまうのでこの眼で確かめたことはないのですが、育ち方で、腐るか枯れるかが違ってくるというのは、おもしろい話だな~と思います。
温度や管理状態によっても違ってくるとは思いますが、上記は同じ条件での実験結果だそうです。

科学的に言うと、菌が発生しやすいか、しにくいかの違いなのかな~と、素人的に思うのですが…
人間で言うと、田舎で育った子は比較的体が(菌などに)強い。都会育ちの子は比較的体が(菌などに)弱い。みたいなもんでしょうか?

私も、毎日いただく食材の9割は、お店で買っていますから、なかなか無農薬のものは口に頂くことは難しいですが、自然の中で育ったものは、本当に「生命力」をいただいた気分になります。単純なのかな~

大豆なんかは、放って置いたら、カサカサになりますが、ワラに包むと菌が繁殖しやすく、納豆になり、麴と寝かせると、味噌になります。

今年3月に漬けた味噌
DVC00007.jpg
そろそろ食べごろかな~

牛乳は、放って置いたら腐りますが、ヨーグルトの菌で発酵させると、ヨーグルトになります。
「腐る」と「発酵」の違いも微妙ですよね~(◎ ◎;)
分かれ道は、人にとって有害か無害かの判断によるみたいですよ~。

友達にもらって、ヨーグルトも家で作っているのですが、ヨーグルトと味噌に関しては、始めて食べるのには、ちょっぴり勇気がいりました。上手く「発酵」できていれば、無害ですが、「腐敗」に傾いていれば、トイレとお友達状態になってしまうからです。へたをすると病院にかけこまなくてはいけません。

食物を保存したり、栄養価を高めたりする方法が伝えられ、その方法にしたがって行えば、安全に口にすることができますが、昔の人は菌との付き合い方を熟知されていたんですね。つまりは、自然の中に生かされていることをよくわかっていたために、このような知恵を見出されたのでしょう。

「腐敗」も「発酵」も、自然の理。単なる出来事。
世の中に、有害か有益かは、基準があってないようなもの。
人の存在というのも、そんなものなのかな~




























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2010-07-07

5年後の七夕に

今日、高校時代の男友達から、メールが届きました。
一昨年の同窓会に、私は用事で参加できなかったのですが、友達を通じて互いの連絡先を知り、時々メールをくれるんです。20年ほどのブランクがあり、顔も会話もしていませんが、昔の気心を知っているだけで、身近に感じるのは不思議なものです。
そう、中学で、同じクラブに入っていた友達とも、年に1度会うかどうかですが、気心を知っているせいか、互いをみとめ、互いを叱り、互いに励ましあい、何十年経っても、「友」は、素敵だな~と感じます(^-^)

その男友達とメールのやりとりの中で、「私らってタイムカプセル(卒業式などに、10年後や、20歳になった自分にむけて手紙を書き、ビンにつめ、校庭の木の下などに埋め、10年後や20歳になった時にみんなで穴を掘って開けるなど)したっけ?」と私が聞きました。
『してないと思うで~。今からする?』と返事がありました。
「う~ん。あのころは夢にあふれていたけど、今、10年後の自分に手紙を書くって、ちょっと現実的な視野でみそうでひるむな~」「いまさら集まって、どこの土に埋めるん?」「空けるころには、生きてなかったりして…」なんてやりとりをした末、結局、「5年後の自分に」というテーマで、手紙(メール)を書き、相手に送信し、5年間管理してもらい、5年後の今日七夕の日に、また、自分が書いた手紙(メール)を相手に送り返してもらう!ということを提案しました。
つまり、私は、今日、5年後の自分にメールを送ったわけです。それを、5年後の七夕に、彼から送り返してもらうということです。
私も、「彼の5年後の僕へ」というメールを預かりました。そして5年後の七夕に、彼にそのメールを送り返してあげるのです。
データー紛失などの事故に関しては、責任を感じたり、相手を責めるとかはなしで、互いを「許す」こと!!が条件です。

なにげない思いつきの中でのやりとりでしたが、5年後に向けて目標を再確認出来ましたし、今の自分と、なりたい自分について意識することで、自分が今求めているものや、恐れているものも明らかになりました。同時に彼の中での同じ物もなんとなく感じましたから、同志といいますか、目指すものはそれぞれ違うけど、なんだかひとりじゃないような、仲間がいるから勇気が出る!みたいな… とっても元気が出ました。
メールの最後には互いに「ありがとう」という言葉を何度も何度も使っていましたから、ひょんな1通のメールが、思い出に残る素敵な1日にしてくれました。

古くからの友人に、たまに会うと感じることですが、久しぶりに会う友を通じて、自分と会っているんです。
友を介して、昔の自分を見、今の自分を見ているんです。友(とも)と共(とも)に…

改めて、人との縁って大事だな~素敵だな~と思いました。
時には、家族が…、時には友達が…、時には見ず知らずの人が、時にはテレビの1シーンが、自分の明日を左右するきっかけになることだってあるんですもんね~。

司馬遼太郎の文章に書かれていました。
「21世紀に生きる君たちへ」という題で、21世紀は、発展をとげた素晴らしい世の中になっているだろう。と。しかし、忘れてはならないのが、自然の中に人間も生きていること。大きな存在に生かされているということ。人間は、大自然の一部であること。おそらく、自然に対しいばりかえっていた時代は、21世紀に近づくにつれて終わっていくにちがいない。最後に、君たちの未来が、真夏の太陽のようにかがやいているように感じた。と、原稿用紙10枚ほどで書かれている文章でしたが、中には、いつの時代においても欠かすことのできない心構えや人への思いやりなどについても、書かれていました。

会ったことのない歴史上の人ですが、愛情のこもった手紙を受け取った気持ちになりました。


5年後の私へ
お返しは、できていますか~?

















2010-07-03

お釈迦様の手の平で

最近、気分が沈みがちでした。
原因は他ではなく、自分自身の「心のわがままさ」に、ほとほと嫌気がさした。ってところでしょうか?

私は、物心がついてから、「頑張ること」「辛抱すること」「諦めないこと」「常識的にふるまうこと」「努力すること」「人を悲しませないこと」そういうことが前提だと思って生きてきました。

それらを実行するために、行動し、言動を考え、それらを実行出来なかった時には、自分を責めたり、出来なかった理由を探しました。

例えばアルバイトを辞めたいな~。なんて思うと、「頑張らないと!」「辛抱しないと!」「辞めちゃだめ!もっと大変な仕事をしている人だっているんだから。」「自分の気持ちではなく、もっときちんとした理由がないと辞めてはいけない。」「せっかく育ててくれた店長に対して申し訳ない。がっかりさせちゃうかも。」なんてね。
と、その瞬間から、頭の中でさらに続けられない理由探しが始まって、あげく結局辞めるんですよね。
時には「前向きな気持ちで…」「合理的に考えて…」「その方が意義(価値)があるから…」なんて言葉で鎧を着せて、行動を選択してきたことも多々あります。

それって、そこだけ見て言うと「考えた結果」だけど、見えてない心の中を覗いてみると、実は「不平と不満」が渦巻いているんですよね。
バイトを辞めることが良くない。不平不満の塊だ!と言うことでは、ありません。「あっ、自分には合わないな~もっと違うバイトを探そう」でイイと思います。そのとき、その場合に、心が無意識下に、どう動いているのか?ということです。

私が沈みがちになっていたのは、そういう無意識下で、「不平不満」の自覚がなく、「○○だから」なんて理由に隠れて堂々と過ごしてきた数々のことを思い出したからです。

先日、伯父が亡くなりました。
お通夜の日に、昔のアルバム見たり、懐かしい話を親戚でしていました。
子供は大きくなり、大人は歳をとり、数年ぶりに会った親戚や、新しく家族を持った親戚もいたり、結婚式以来、始めてゆっくり会話するといった人もいました。
こういう時って、「昔はこうだったよね~」なんて会話や、「○○ちゃん、あの時そう言ったじゃない~」なんて言われて、「そうだっけ?」「覚えてないな~」「嫌だ~」と言う場面もありました(^-^)。
普段とは、別の視点で自分を振り返ってみたり、「人」って変わるな~なんて改めて感心したりでした。

私は、自由に生きてきました。もちろん、我慢もしてますよ~(^^;)。でも、やりたいことに妥協せず、これだ!と思えば行動し、違う!と思えば結果的に止める。昔だったら、ありえませんね。農家に生まれれば農家を継ぐ。親が決めた人と結婚する。戦争に行く…。その時代だったら、とんでもない放蕩者です。好きなものを食べ、味のないものに不満を言い、好きな服を着、持ち物にこだわり、ダサいや古いと文句を言ったり、親に反抗し、自分のことを棚に上げて先生に文句を言ったり、気の合う人やら、合わない人を決めていたり、自由な道を選び、自由が無いと権利を主張する。選択肢を探す。もっともっとと…今の時代では、普通かと思うことですが、「幸せ」と言う名のもとに、沢山のものを探し、貪り、掴んでは違う!と言って捨てたり探したりを繰り返してきました。
それも、悪いとは思いません。無智であったために、それらを繰り返しましたが、何かに気づければいいんじゃないかと思うんです。

今思うのは、わがまま放題に生きてきた自分は、きっとお釈迦様の手のひらで、あれやこれやに不平不満をつけ、まるで小さい子供が、あれでもない!これでもない!気に入ったおもちゃが無い!とダダをこねている様子。『これだね~(^-^)』と差し出されても、見向きもせずに自分の我を通し、ひたすら探している。そんな感じなのかな~って。

それでも、その手の平をひっくり返さずに、くるくるポイッと飛ばされずに、手のひらでパチンと叩かれずに見守っていただいてるんです。きっと「かわいいな~」って、私たちを見てくれているんだと思います。
そして、そんな気持ちで自分をみようと思いました。自分の心なんて、本当に自分か?って思うくらいに手がつけられずに、気まぐれなものです。でも、そんな自分の心を、否定したり、責めたり、うんざりするのではなく、「かわいいな~」って見続けることって、幸せのコツだと思うのです。ほら、身近にいませんか?そんな人。「自分を大切にする人。」「自分を愛せる人。」そういう人って幸せそうで、運がいいと感じませんか?

「頑張ること」「辛抱すること」「諦めないこと」「常識的にふるまうこと」「努力すること」「人を悲しませないこと」そういうことに必要以上にとらわれないで、自分を「かわいいな~」「えらいえらい」って許してあげるといいみたいですね。なかなか難しいですけどね~。「頑張らなくていい」「努力しなくてもいい」そういう意味ではありませんよ。そう出来なかった自分を責めることはない。と言うのです。
自分を責めたか、許したかでは、出した結果や行動が同じでも、次の行動や意識に大きな違いが生まれると思いますからね~。
今後は、「自分の許し方、愛し方を」もう少しさぐってみようと思います(^-^)♪





プロフィール

そわか

Author:そわか
大阪で、気功、整体、内観研修を行っています。
現代人に多い、ストレスや、自律神経に焦点を当て、心と身体の両面からアプローチする方法で、日々施療を行っています。
また、記述式内観という方法で、トラウマや人間関係や子育てにおける悩みの部分を解決するべく、本来の自分らしさを取り戻しポジティブに生きるといった研修を行っています。
2人の娘を持つ、ママヒーラーです。

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