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2010-05-24

特急と鈍行

このあいだ、中学2年の娘が、うちで友達と話していました。
一人の子が、「心は、胸にあるんやで~!」と言い出しました。すると、もう一人の子が、『胸ってどこよ?』と聞き返しました。
「心臓!心臓!」
もう一人の子が、『心臓に考えるとこないやん!』
「………」。
するとまた別の子が「心は頭にあるんやよ!だって頭で色々考えたり思ったりするやん!」と言いました。
するとまたまた別の子が、「えぇ~~~、私は口にあると思う!だって思ったことは口から出るやん!」と言いました。
思わず小耳にはさんだ会話で笑ってしまいました。最後に心が口にある。と言った子は、小さい時から思ったことがハキハキ言える子でしたので、なるほどな~と思いました(^-^)♪

思い立ったら、即実行!!と言う方がいらっしゃいますね。思ったと同時に、もう足がそちらに動いている。それとは逆に、頭にはパッと浮かぶんだけど、気持ちや行動がなかなかついてこない。ということもありますね。頭は、特急なのに、気持ちは各駅停車のような…。
かなり昔のCMで、伊藤四郎さんが言ってました。「今やろうと思ってたのに、言うんだもんな~」なんて…古い?(^^;)

思っているんだけど、出来ないこと。
やらなきゃならないのに、手がつかないこと。ありませんか~?
出来ない!のではなく、やらない! やる気がなかなか起こらないのです。
娘のテスト勉強なんて、まさにそのものなんですけどね~(´-`;)

「なんでだろう?」色々思うとことはありますが、これらを支配するのは『甘え』ではないかと!
切羽詰まれば出来る。褒められたら出来る。いざとなれば出来る。誰かと一緒なら出来る。時間がたっぷりあれば出来る。また、手をつけだすと、大変になるから出来ない。どこから手をつけてよいのかわからない‥でも、たいていの場合は、条件次第で出来るようなことばかりです。
それって、目の前のやるべき出来ごとを、ぼやかして見ようとせず、まわりの状況や条件に焦点を当ててみているんですね。カメラで言えば、景色の中に立つ主人公に、ピントを合わせないで、まわりの景色にピントをあてて、肝心な主人公をぼやかして見ているような状態です。
時には、そうした方が、物事が進むって場合もあると思います。ただ、物事を、後回し、後回し、を続けていくと、常にピントが外側の景色に合わさっていますから、大事なものを見失う恐れが多くなると思います。外側の景色=言いわけ。真を見ないで、言いわけ探ししているみたいなもんなんじゃないかな~って(^^;)
こういう自分を改善したい? では、一度「記述式内観研修」に…(^-^)/
まっ、それは、置いといて!

先日、リンクさせていただいてますブロ友「ストレスto心のほっ♪とspace」http://kikou2525.blog53.fc2.com/さんとやり取りをさせていただいたときに、のぼった話題だったんですけど、心の、モノの見方って、実際の眼の、見え方と似ているかもね~って。

例えば、私は乱視があるんですが、子供の頃、親の嘘(騙すつもりではなく、結果的に実行できなかったような)や、大人の言いわけや、ごまかしが、すごく嫌でした。きっと子供は誰でもいやだと思うんですが、「また、口だけ~」「信じてたのに、なんで?」「楽しみにしてたのに、ショック!」「子供だからって、ごまかさないでよ!」なんて…そのうち私は、「物事をまともに信じて受けると、がっかりする。」「真に受けると、裏切られるかも?」だから、「なんとなくだけ、楽しみによう」「(約束を)破られても傷つかない程度に信じよう」「先のこと(未来)は、ぼんやりとみることにしよう」としてきました。きっと本当は信じたかった。だだ、傷つくのが怖かったんだと思います。そんな思考が、今も引きずっているな~と感じる時があります。まさに、私の眼の見え方と同じなんです。ハッキリと先を見ることへの恐れが、見え方に現れているような気がします。私だけかな~?

先のこと、未来を見るのが不安な人は、遠くが見えにくいとか?親の夫婦喧嘩を眼の前でよく見ていた人は、目の前を見るのが恐怖。とか、心と見え方、みなさんはどうですか~?

娘の会話「心はどこ?」について、私は、「体の全体」だと思いました。
私に起こっている現象そのものが、心だと。

たまたま、頭や胸や口には、特急のごとく感情がパーッと現れるので、「心」として意識下に確認できますが、時間が経ってから、現れたり、回を重ねてやっと現れたりの、ゆっくり地味に表れてくる意識って、気がつきにくいかもしれませんが、それもれっきとした「心」なんじゃないかな~って。














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2010-05-20

チョイス

人間関係って色々ありますよね~。
一切、人と関わらずに生きていくことは、不可能に近いです。人間は、人の間(あいだ)に生きるから、人間って書くんだって!

色々あるっていうのは、楽しいこと、嬉しいこと、悲しいこと、腹立たしいこと、幸せなこと、悔しいこと…
こういう感情がともなうことには、大抵、人が関係していますよね~。

例えば、職場の誰かにあいさつしたら、冷たくあしらわれた。とします。
「なんだ!あいつ!ムカつく!」と思う人もいれば、「なにか、私、悪いことしたかな?」と不安を感じる人もいるでしょう。「あれ?気がつかなかった?まっ、いいっか~」って人もいるでしょう。
瞬時に立ちあがる、心の中の感情ですが、人によって、どの感情をチョイスするのかは、様々です。
みなさんは、どんな感情をチョイスしますか(^-^)?

時と、場合と、相手によるって?
そうですよね。
時と場合と相手によっても変わるかもしれませんが、それって、時と場合!(外的要因)のようにみえて、実は、自分なんですよね。つまり、自分がどの感情をチョイスしたか!なんですよね~。
同じ境遇に合っても、引きずる人、からっと忘れる人、イライラする人、自分を責める人、プラス思考に考える人、落ち込む人…それぞれです。それは、その人がどの感情をチョイスしたかによって決まります。兄弟や、双子が、同じ親なのに、それぞれ親の印象が違うことがあります。会社の同僚もそうです。同じ環境でも、それぞれの視点によって、人の印象が違うことがあります。相手が、「ムカつく人」なのではなく、自分が「ムカつく」という感情をチョイスしたんですね。

それがどうした?と、お思いでしょうが、これって、頭のすみに置いていると、(私は)それほど感情に左右されることが少なくなったんです。
悲しい出来事も…
腹立たしい出来事も…
落ち込むような時も…
それは、自分(私)が、選んだ感情。

以前は、腹がたつことがあると、自然とイライラして、無意識に行動が雑になったり…なんてこともありました。今は、無い!とは言えませんが、一瞬一瞬に立ちあがる自分の感情に責任を持とう!(ちょっと格好つけすぎかな(^^;)?)とにかく、相手ではなく、自分がチョイスした感情だと思うと、ダラダラとその感情を引きずることが、うんと少なくなりました。
楽しい感情、明るい感情なら、「どんどん来てください~!」ですが、逆の感情は、出来れば出会いたくありません。「負」の感情のスパイラルに巻き込まれると、なかなか抜け出せない経験が、多くの人には、おありかと思います。

「いや~どうも、私は負の感情をチョイスしてしまう習性がある」とお思いの方には、記述式内観がお勧めです。
感情をチョイスする際には、多分、子供の頃からの記憶や習慣、親子関係、長~い間の考えが、影響していることがほとんどだと考えられます。時には立ち止まり、自己を見つめ直してみるのも、おもしろいと思います。視野が変わると、同じ出来事でも、景色が変わって見えるからです。人にはそれぞれが、それぞれに合った方法があると思います。自分にピンとくる方法で、幸せがたくさん感じられますように(^-^)☆∥














2010-05-12

つぐない

先日、祖母が退院しました。ちょうど1年前、腰椎を自然骨折し、入院してから1年ぶりの帰宅になりました。
祖母は、入院前も退院後も、伯父の家の敷地内の、別棟に暮らしているのですが、入院前は買い物以外は自分で全部出来ていました。しかし退院後は、買い物は基より、炊事は出来なくなり、日中は車いすに座ったままか、ベッドに横になっています。元気なんですが、食欲があまりなく、口数もへりました。昔は、少々愚痴っぽいところがあり、正直嫌だな~と思ったこともありましたが、この1年で、痴呆がはじまったせいか、愚痴ることがほとんどなくなりました。
今のおばあちゃんを見ていると、可愛いな~♪呆けは、ある意味、美しいな~。とさえ感じられます。
が!!
現実は、そう甘くありませんよね~。同時に「介護」という事実が浮上です。兄弟間では連日会議が繰り広げられ、誰が買い物をする?誰が食事を作る?どうやってお風呂に入れる?扉はどうする?車いすでの段差は?…など、問題は山積みです。円満に満場一致で解決することばかりではありませんし、みんなが今、生活をしている中での、時間と労力をおばあちゃんに費やさなくてはいけなくなるわけですから…

親と親兄弟が話し合っているのを聞いていると、私、一緒に暮らすのもいいかな~!と思いました。自分一人では、すべてを抱えきれないけど、今なら、伯父や叔母や、私には父や母や子供も居るので、みんなが助けてくれるだろう状況だし、介護に通うより、自分の家の方が楽だと思ったからです。私の娘もそうしたいと言いました。
ところが、伯父は応じませんでした。
伯父は、祖父母の定年後すぐから祖父母の面倒をずっとみてきました。両親を身近に置き、「親の面倒をみる」「親を大切にしたい」と日ごろから、よく話しています。
私の提案に対しては、大変喜んでくれたのですが、親の介護は子供の責任。孫である私には預けられないということでした。

退院から数日経って、親と親兄弟は、おばあちゃんに対してとても厳しくなりました。態度も言葉も厳しいのです。そんなおばあちゃんが、気の毒に思えてきました。もう言い返さないからです(´`;)。
親子ってそんな風になってしまうのかな~?疲れてくると、そうなってしまうのかな~?なんて考えていました。おばあちゃんと共にする時間が増えれば増えるほど、みんなの風当たりが、厳しくなってしまっているように思うのです。

私は、ちょっとおばあちゃんに厳しすぎるんじゃないかと、母に言いました。私の娘もそう感じていたみたいで、娘も一緒に言ってました。すると、母の妹(叔母)も、弟(伯父)も、娘たちに同じようなことを言われていたようです。
みんなわかっている。どこかで気が付いているけど、ついつい…のようです。そのとき、以前映画のシーンで聞いた、ハリネズミの家族の話を思いだしました。ハリネズミは寒さをしのぐために寄り添うと、相手を傷つけてしまいます。かといって離れると凍えてしまうというので、適度な距離で家族は寄り添い過ごすと言う話です。(なるほど~)

昨日、私は母を散歩に誘いました。母は、「暑いし面倒くさいわ~」と言いましたが、「運動不足解消に、歩こうや~!」と。今は、私は特に何も思わず、母を誘っていますが、もしも母の介護などで疲れていたら、同じ口調、同じ調子で言えなくなるんだろうか?やはり、母と同じく、親に厳しく接してしまうんだろうか…と考えました。そうなってみないとわかりません。私が、おばあちゃんと暮らそうと考えたのも、親というクッションがあるからこそ、思えたのかもしれません。

一方、伯父ですが、仕事仕事人間で生きてきた人です。おばあちゃんの介護にこだわるのには理由があるようです。おじいちゃん(父親)の介護と最後を、仕事で、出来なかったことらしく、本当のところ、その後悔の念が、おばあちゃん(母親)の介護にこだわっているというのです。孝行息子でいたい。孝行息子でありたい。でも共に時間を過ごしたり、介護することは難しいと言うのです。結局、いつまでも「出来ていない」と自分を責めてしまっているそうです。

これに似たことって、私もあるな~と思いました。
私は、子供が小さい頃から働いていましたから、参観日などに行ってあげることが出来ず、いつか「行ってあげたい!」と思っていました。今、それが可能になり、参観や懇談に行くのですが、いざ行ってみれば、単なる自分の中でのこだわりだった?ような気がします。「親として」という枠に当てはめて、行けない自分を気の毒に思う気持ちもあってのように思います。「仕事」を理由に、行けないという現実を、言いわけするような気持ち。だったような気がするんです。
やってあげたいこと。って、(過去に)やってあげられなかったこと、(今)やってあげれていないことをつぐなう気持ちから来ていることがありませんか?つまりは、出来ていないことです。
子供でなく、親の場合もあります。夫婦の場合もあるでしょう。自分自身に向けて思うこともあると思います。

でもね~。相手は、その内のどのくらい求めているでしょう?
本当に相手は、それを望んでいるんでしょうか?
自分のことを振り返ると、結構、独りよがりの思いこみだったことが多かったように思います。つぐないだったり…
親のために~、子供のために~、家族のために~、誰かのために~、とよく言いますが、本当のところ、誰のためなんだろう?……
実は、自分のためだったりして…?
それをすることによって、自分の過去や現在の、足りていないところを補えるような気になったりするんです。でも、本当の気持ちからの行動には、きっと理由などないんですよね~(^-^)












2010-05-07

本当のこと

お久しぶりのブログになります。
色々と書きたいことはあったのですが、どうも「表現する」と言うことに、戸惑いが生じた今日この頃でした。
思ったことや、出来事を表現することは簡単ですが、そのままのものを誰かに伝えようとすると、なんだか別のものになってしまうような???
ものごとには、良い悪いでもなく、白や黒でもなく、光のグラデーションのような、全体の一部だという思いが強くなりました。と思うと、表現するって、なんだか難しいな~。言葉で固定化してしまうと、「本当のこと」でなくなってしまうんじゃないかな~と言う戸惑いにぶつかったわけです。

恋愛時分に、相手の長所(好きなところ)って思っていたところって、歳月が経つと短所(嫌なところ)に変わるって聞いたことはありませんか?
優しいところが好きなところだったのに、歳月が経つと、優柔不断に思えてきて、嫌なところに変わってしまっていた。なんていうのはよく聞く話ですね(^^;)。

写真の中の1ショットだとしても、今現在起こっている出来ごとだとしても、すべては、「流れ」です。流れの中のほんのほんの一瞬。今、まばたきをした、その一瞬も、もう過去になっていますよね。
膨大な過去と、膨大な未来の中に、(今)一瞬があり、いつも流れています。
「あ~あ~川の流れのように~♪」なんて言う歌がありましたが、人生自体、生きるということは、「流れ」であり、「光」のようなもの。「赤色」とか「青色」とかでは表現できない、(七色と表現されている)虹が波のように流れているグラデーションのようなものではないかという感覚なんです。

な~~んて、難しく考えると、訳がわからなくなりますが、状況は常に変わる!時は流れている!だから、諦めることはない!と思うんです(^-^)!

鳩山総理も今は大変なようですよね~。自民党から、民主党へと政権交代をし代表に選ばれ、海外メディアでは、時の人と騒がれ、国内でも高い支持率を得ました。それから諸々の出来事があり、最近では普天間問題が取り上げられていますが、今は「嘘つき」呼ばわりするメディアもあるほどです。鳩山総理が変わったわけではないと思います。あの方は多分そんのままです。見る側の見る角度が変わっただけです。

今、「イケてないな~」「毎日が辛いな~」「なんで生きているんだろう」なんて思うこと、誰でもたま~に、ありますよね~。答えは、「気づくため」だと思います。ただ、解き方は、自分自身が見出すものであり、他人と同じ方法ではないと思います。答えを「気づき」と固定的な表現をしましたが、気づく部分は、虹のように流れる光の、一部分でいいと思うのです。すべてに、完璧な答えなど出せません。なんとなく一部分でも気づければ、おのずと物事は流れていくので、うまい具合になっていくようです。
それから大事なことは、「ごまかされない」ことだと思います。誰に???
「思いこみ、とらわれ」にです。

「忙しい」ことは、いいことですか?
「人気がある」ことは、いいことですか?
「不自由」は、不運なことですか?
「不登校」は、失格ですか?

世の中には、色々な風潮がありますが、風潮とは、時代とともに変わっていく世の中の傾向です。でもそれは、必ずしも真実ではありません。本当の幸せ。本当の生きる意味。は、そんなところにあるのではないと思うのです。
「本当の幸せ」には、心の底から湧きあがってくるような、温かくありがたい、感無量な感覚があると思います。それは、万人に平等に与えられた感覚であり、恵みであり、チャンスであり、愛です。お金持ちにだけ与えられるものでもなく、病に悩まされる人には無いということでは、ありません。

時には自分が「不幸だ!」「不運だ!」と思うことだってあるかもしれませんが、「本当の幸せ」は、外側を見比べて決めるのではなく、己の腹の底の底からの思いだと思うのです。
つまり、「本当のこと」が「ありのまま」に見ることが出来れば、人生はきっと、恵みそのもの。愛そのものなんですよね~。無限の恩恵を受けていながら、まだ欲しい!もっと欲しい!と願うのが我々人間ですが、生き物の世界で優位に立っているということに、恥かしさを感じずにはいられません。
人生の折り返し地点と言われる年頃に至った私ですが、もう随分と沢山の恵みを受けてきました。これから人生あと半分(あるかどうかはわかりませんが)、受けた恩恵にお返しができたらな~と思います(^-^)☆







プロフィール

そわか

Author:そわか
大阪で、気功、整体、内観研修を行っています。
現代人に多い、ストレスや、自律神経に焦点を当て、心と身体の両面からアプローチする方法で、日々施療を行っています。
また、記述式内観という方法で、トラウマや人間関係や子育てにおける悩みの部分を解決するべく、本来の自分らしさを取り戻しポジティブに生きるといった研修を行っています。
2人の娘を持つ、ママヒーラーです。

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