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2010-01-30

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「あなたは、幸せだと思う?」
度々、母に問われる質問です。
私は、「結構、幸せやよ~(^-^)!」と答えます。

この質問から感じるのは、母にとって私の生き方は、あまり幸せに思えない感じでなんでしょうか?(^^;)
そもそも母が理想とする「幸せ」の像と、私が理想とする像は、違うものなので、たとえ親子であっても、自分の幸せと、人の幸せと言うのは、「幸せ」の設定が違います。自分の幸せ=人の幸せではないですね~。
これも、親心なんだと思います。自分(親)が「幸せ」だと思うように、子供がなっていけば、「子供は幸せだ」と思うでしょうし、自分(親)が、「幸せ」だと思う以外の道に、子供が向かって行けば、心配になるでしょう。

私の夢は、都会から離れた、水と空気のきれいな場所で、健康な体や心を取り戻すきっかけや、お手伝いが出来るような道場施設を作ることです。遠い夢ではありますが、都会での毎日の「忙・騒・俗」の生活環境から少し離れて、客観的に自分の生活を観察するためにも、いつもと違う環境がおもしろくていいかな~と思うのです。

そんなこんな事情で、私の通ろうとする道は、親には理解しがたいのかもしれませんが、「自分が幸せなら、親も幸せなはずだろう~」と都合良く考えています。

目標や、夢や理想は、自由です。
可能、不可能は、ありますが、私の夢も「お金が沢山かかりそう~」などと現実を考えると不可能な方に近いかな?と思います。でも世の中には、「凄いこと!」「不可能?なこと」を実現している方は沢山いらっしゃいますからね~!
何が違うのかな~?生まれつき特別な何かに恵まれているのかな~?なんて考えたりもします。確かに、本当に何か恵まれた才能や環境を備えて生まれてくる方もいると思いますが、何より、意志や情熱、信念の強さを感じます。簡単に揺るがない気持ちです。

人間は、心の底から信じて願えば、叶う念力?のような自在力があるそうです。初めて聞いたときは、「ほんまかいな~」って感じでしたが、最近、「そうかも!」と思うようになりました。大抵のところ、心の底から願うところまではいくのですが、途中で諦めてしまうんですよね。「無理じゃないか…」「やっぱ、無理」なんて。まぁ、人生何度もそんなことを繰り返しできたんですけどね(^^;)。

例えば、何か新しい仕事にチャレンジする際に、経済的に不安だからと悩んだとします。
不安だから諦めた。不安だけどチャレンジした。の二手に分かれます。また、同じ不安にかられた!やっぱり不安だから諦めた。不安を克服するために、色々な案を考え実行した。こんな感じで、意志や情熱の続く限りチャレンジしていった結果、不可能を可能に実現できる人が生まれていくんでしょうね~。

先日、娘がハードル走で、タイムが17秒01だったそうです。目標は17秒を切ることだったそうなんですが、0,01秒なんて、言いたい放題で言ってみれば、気持ちの差!あと一息気持ちが前に出ていれば、胸を張っていれば…なんて話をしていたのですが、実際のゴールよりも、あと1メートル先にゴールがあるという気持ちで走っていたら、クルアできていたかもしれません。もしくは、肩と肩が競り合うほどの距離で同走者の誰かが居たら、あと0.01秒くらい早く走れていたかもしれません。まぁ周りは簡単に、何とでも言いますが…
よく考えると、限界は自分が決めているみたいだな~って、思ったんです。
走るにせよ、仕事にせよ、他の色々なこと…
自分の中では限界なんだけど、もしかしたら(もし成功が見えていたとしたら)出来るかもしれないことって、あるかも。人間って、その先に(成功や姿が)見えていたら出来ることってあると思うんですよね~。逆に確信のないことや、見えないことには、なかなか突進できない。それって、私だけだったりして(^^;)

「限界」を無視して、極限まで尽くすことをお勧めしているわけではありませんが、あとちょっと!あともう少し!って言う時に「諦めよう」とよぎった時、ふと振り返って、「限界?」当初の「幸せ」の設定はなんだったっけ?と振り返ってみてから行動してみてもいいんじゃないかな~と思うんです。

「幸せ」も「限界」も「夢」も、自由に自分が決めること。自分で自由に設定できるんですよね。設定変更も可能です。誰のせいでもなく、自分で自由に設定が出来るだけに、臆病になったり、慎重になったりしちゃうんですね。これが物事の二重構造ですね。自由という権利と裏側の部分。あっ、またまた長くなりそうなので、切り上げますが、明るく楽しい毎日を設定して毎日を送ろうと思います。

















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2010-01-26

病む体に病まない心

これまで、心と体は共通している。というようなことを書いてきましたが、体がどうもこうも弱ってしまった時、急に調子が悪くなってしまった時というのは、誰しも平穏ではいられないものです。昨日まで元気だった心が、一気に弱気になったりします。
また、病名を宣告されて、急に症状が重く感じてしまうのも、不安にかられることも、人間誰しもあると思います。
そんなときこそ、心と体とを、切り離して考えることが、大事だと思います。

体が病んで、心まで病んでしまえば、身も心もどん底に落ちて行ってしまいます。
体が病んでも、心は元気。心は明るく生きていくことは不可能ではないと思います。
体の不調に、心が、必要以上に影響を受けてしまわないように、病んだ時には、心と体を別々に考えることをお勧めします。

「痛い」「苦しい」時に、感覚と感情を切り離すことは、大変だと思います。
それでも、「この痛みは、体が感じている痛み」「この苦しさは、心ではなく、体が感じているものだ」と認識するのです。
体は、自分の所有物という感覚ではなく、(自分の)体という乗り物を借りていると、私は思っています。乗り手の自分が操作を間違ったり、乱暴に扱うと、体は、不調を訴えます。命絶えるまで、世話になる体です。最近は、ときどき止まって体の声を聴いてみるようにしています。「疲れていないか?」「無理していないか?」「自分を大切に扱っているか?」
おそらく、若い時には体が元気なのでなんとかなるものですが、折り返し地点を迎える時期からは、体は衰えていくものの、世間では「働き盛り」です。この時期に、「いやいや、まだまだ!」「おちおち立ち止まってなんかいられない!」なんて無理を続けて、体を酷使ししていると、過労死、脳梗塞、動脈硬化…など要注意だと思います。

いったい、人は何に向かって生きているのか?
何を目指して、生きているのか?

1つは、「死」であることは、間違いありません。
確実に迎える「死」に向かって、生きています。
「あ~よかったな」「あ~いい人生だったな」と思うには、どんな状態でその時を迎えようと、「心」が平穏であれば、幸せだと思います。
病んでいようと、少々思い残すことがあったとしても………???

病んでしまい、心まで病むのは、「自分」が、「がっかり」という感情を選択したした結果です。
回復に向かい、病に打ち勝つぞ!という意欲を選択することもできます。それがために、より深い人生を送ることも出来ると思います。
思い残すこと…とは、自分が、「思い」を設定し、それに満たないと嘆く感情を選択したのです。
満たしたか、満たしていないか、満足か不足は、自分が設定しているんですね。

生きていると、良いことや幸せなことばかりではありません。
健康でいても、恵まれていても、「不足」だと考えてしまうことがあります。
そんな時は、誰かと比べてしまっていたり、高い理想を掲げていたりしませんか?
高い理想を持つことは、素晴らしいことだと思います。しかし、それと、それに満たない自分を比較してしまうことが、不幸せの始まりなんだと思います。

大事なのは、そこに向かうまでの過程であり、そこに向かうまでの経験そのものだと思います。
結果、達成できれば、なお素晴らしいですね。
どんな状況であっても、心が右往左往せず、「どう生きるか」が、人生の最大の目的なんじゃないかな~と思います。

そういう私は、右往左往する「心」と、毎日格闘していますが(^^;)















2010-01-22

古武術

最近、「古武術」に興味を持っています。
「古武術」には、、整体など、体の不具合で来られる方々に、改善、予防のヒントになることが、沢山あると思ったからです。

数年前に話題になった、「腰を痛めない介護術」や、野球の桑田真澄選手が、肘の故障をされた時に、今までの考えを改め、0からトレーニングされたのが、この「古武術」だそうですが、桑田選手の場合、軸足に体重を載せて支点を作り、身体を思いっきりひねって力をため、うねりながら投げるというフォームでしたが、加齢による筋肉の衰えなどにより、この投げ方に限界を感じられたことが、「古武術」の門を叩くきっかけだったそうです。

簡単に見れば、股関節や肩甲骨や肘、膝の機能を大いに使って、腰への負担、体の各部への負担を軽減させ、少しの力で、大きな力を使える。といったことなどですが、このように私がヘタクソに文章にしてしまいますと、間違った表現をしてしまいそうなので、控えます。
また「古武術」は、その応用で、サッカー、テニス、野球、ゴルフ、陸上競技やバスケなど、あらゆるスポーツにも生かせるようです。スポーツには、故障が付きまといやすいものですから、体への負担を抑えるためにも、体の各機能をよく知り、有効に生かせれば強みですね。普段、何気なく使っている各関節、各筋肉ですが、使い方によっては、こんなに楽に、有効な使い方が出来るのか?!と感心します。どちらかと言えば、筋肉より、骨と関節を生かした体術と言った感じです。
古い昔では、これらの体に備わった各機能を最大限に使用し、生活していたのでしょうが、現代社会では、使わないことが多くなって、使い方を忘れてしまったのかな。と思います。

それから近頃、映画などで、武士の太刀打ちなどを見ていると、「なんか違う気がするな~?」「軸がぶれてるのに、それじゃ~次の攻撃に間に合わないんじゃない?」と、素人のくせに、違和感を覚えるようになっていましたので、ちょっと「武術」を探索したくなりました。

「気功」や「整体」にも、体の中心に意識を向けたりすることが、とても重要に思うので、そのあたりで、「古武術」に興味を持ったわけですが、「気功施術」「気功体操」「武術」「あらゆるスポーツ」をよく見ていると、「押し」と「引き」の兼ね合いが、絶妙なバランスで、調和されてこそ、大きなエネルギーになるような気がします。これは、人間関係にも同じことが言える気がしますし、特例を除いた恋愛もそうではないでしょうか?
そこで、中心が、しっかりしていないと、押した!と思ったら倒される。引いたと思ったら、ひっくり返るようなことになっちゃうんですね。「中心」というのは、「中(内)の心」(心の中)とも言えるのかな。

ところで、体の中心を意識するって、どんなメリットがあるの?
どうやって体の中心を探すの?と思いますよね~。

方法は色々あると思うし、極めればそれこそ、なん通りもの方法や、良いことがあると思いますのが、この間、あるセミナーで教えていただいた方法ですが、あくらを組んで座るか、正座か、椅子に真っ直ぐに座り、肩を落とし、腰の力を抜きます。このときに合唱のポーズで手を前に組み、その手を左右に動かしながら、一番気持ちが落ち着く位置を探すんです。そこが体の中心を意識出来た位置になります。とても簡単ですが、結構わかりにくいんですよね。微妙に腰の緊張が抜けていなかったりして…。この位置が正しいかどうかの検索方は、気持ちがいいか、良くないか。リラックスできているかどうか?のようです。直立でも出来ますが、座って探ってみるほうが、簡単だと思います。「古武術」では、1本下駄で立つなどの方法も紹介されていますが…。

中心がわかれば、手を楽にします。この状態で腹式呼吸。お臍のあたりで呼吸をしてみてください。
これが、無駄な力が抜けて、胸が大きく開き、呼吸が深く大きくなっている状態です。
このときに、中心が真っ直ぐに座れていると、「悪いこと」を無理矢理想像しても、想像しがたい感じがします。
逆に胸が縮まったような姿勢では、深い呼吸はできませんし、「プラスなイメージ」が想像しにくくなります。
前向きに生きるには、姿勢や呼吸って、想像以上に大切みたいですね~

夜寝る前や、朝起きた時、または、デスクについたとき、ほんの少しこれ(中心探して、深呼吸)をするだけで、なんだか1日の始まりや終わりが、清々しい気分になります。

多くの人は、1日に色んな心の動きを体験しますね。どんな1日でも、気持ちをリセットして、新たな朝を迎えたいものですね。










2010-01-18

恩師

人生において、大きく影響を与える存在に、幾度か巡り会うことがあります。
学校の先生であったり、友達だったり、先輩だったり、突然テレビに映った人の言葉や映像であったり…
思い返せば、大きな影響を与えてもらったな~と思う存在、少し影響を受けたと思う存在、思い方や出会いは様々ですが、人との出会いによって、人生が変化していくことには違いありません。

先ほど、大きな影響とか、小さな影響と表現しましたが、大きさで表現するのは間違いかもしれませんね。
また、影響を与えるとか、受けるという表現も、間違いではないと思いますが、本来は、干渉しあって生きているんですね。

「良い」と思う影響を与えてくれるのは、必ずしも目上の存在であるとは限らないし、偶然見かけた公園での少女の存在であったり、この寒空に強く生きる草花であったりもします。
また、その時は、「良くない」「悪い」と思う影響を与えてくる存在だと思ったとしても、何年か経った後に振り返ると、自分の人間形成において、とても感謝する存在だったりします。

「物事には、良いも悪いもないんだよ~」
私に、「気」の世界を教えてくださった恩師の言葉です。

はじめは、よく意味が理解できませんでしたし、この言葉の意味を、文章で表現することも出来ません。日々感じていくしかありませんでした。頭でわかることは、ほんのわずかで、後からひしひしと、それを感じるたびに、「なるほど~」と言った具合でした(^^;)
正確に言うなら、まだ、この言葉の意味を、「こういうことか~」などと、感じながら日常生活を生きている段階であります。

心に残る存在というものは、私の場合、小学校6年生の時の先生から始まり、何人か居ますが、何十年経った今でも、子供の時に受けた「心の動き」は、今も現在進行中です。
30年前に感じたことでも、去年感じたことも、今感じたことも、「心の中では、(今)生きている」感じです。
なぜ、どんな風に影響を受けたのかを、言葉に説明できませんし、自分でも「この部分」などと把握しているわけではありません。
好きな人の、どんなところが好き~?と似ているかもしれません(^-^)

先日、恩師のHPで、「聴き方教室」というものをされていることを知りました。
「さすがだな~」と思いました。
「聴き方教室?」何に役立つんだろう?と最初は思いましたが、よくよく先生から以前聞いた言葉、行動などを思い返してみると、新しいことを起こすエネルギーに秘められた、慈愛を感じました。
「気功師なのに、なぜ気を教えないの?」と単純に思うところでもありますが、先生が配信されていることは、「気」を肌で感じる上で、とっても大事なことなんですよね~。
そして、「気功」以前に、人間が幸せに生きていけるためのヒントを、たくさん提供してくださっています。どうしたら、悩みなく生きれるのか?どうしたら幸せに生きていけるのか…など。

恐れながら、有益か無益か、良いのか悪いのか?を判断するのは、人それぞれです。
私は、人生において多くの時間を、「良い」か「悪い」を判断して生きてきました。
でも、「心に生きている存在」は、その生き方が太陽のような慈愛に満ち溢れているのです。
時に厳しく、時に大きく、時に優しい。そしていつも同じなんです。時が変わろうと、人が変わろうと、価値が変わろうと、平等に光を放つ太陽のように…

まぁ、そういうと現実離れしたような感覚のように思われるかも知れませんが、そういったわけではありません(^^;) そもそも、人の心に生きるような存在というのは、大先輩にしろ、道に咲く草木にしても、「心を動かす」すごい何か!であったりしますが、また、それを受信する自分であったりすると思います。
影響は一方通行ではないんですね。
常に人は、色々なことを送受信して生きていますが、物事にたいして「良い悪い」ではなく、「どう感じていくか」が大事なのかな~と思います。


















2010-01-12

肩こり

先日、車で30分で行けるはずの場所に行くのに、70分かかりました。
通常この曜日の、この時間だったら、こんなに渋滞するはずがないのに、なんかあったのかな~???
わき道に曲がり、別の道に逃れることにしました。するとしばらくは流れたのですが、また車が増えてきて滞りはじめました。
よくよく考えると、「戎さん」だったんですね~(^-^)♪

道路の状態を、ふと「肩こり」に重ねて想像しました。
何かの原因で、ある個所の血液が流れにくくなり、段々と滞りはじめる。別の道に逃れようとするけど、根本が解消されないままの状態が続くと、周りの血液まで影響し、のちに血液がコリ塊を作ってしまい、「肩こり」を作ってしまいます。
解消方法は、まず、血液を流さなくてはいけないですね~。
軽い症状の場合は、肩を回したりほぐしていけば解消されますが、長い時間この状態を続けて我慢していたり、その他の要因と重複して起こっている場合は、範囲も広範囲に広がり、コリ塊も筋金入りになってきますから、かなりツライですよね~

「血」を流すことを実践すると、ほとんどの肩こりは、解消されると思います。
また、「気」が流れると「血」が流れるので、「気」を流すことも解消する方法です。

「気功」施術を行うと、1度目では、実感出来ないかもしれませんが、多くの人が施術途中に「手足が自分の手足じゃない感覚」とか「体が浮き上がった感じがする」とか「力が入らない」、「眠くて仕方ない」などの感覚を体験されるようです。そこだけ聞くと、なんだか気味が悪いですよね~(~o~;)
ようするに、体の緊張がほどけた時の感覚なんだと思います(^-^)

首や肩の緊張により、周囲の組織の血液が滞ってしまうと「肩こり」を引き起こしていきますが、緊張している個所を自覚し、その都度、その都度、その個所の緊張をほぐすことを意識していると、「肩こり」は、軽減すると思います。
肩を回す。休憩する。首筋を冷やさないようにする。胸を張り深呼吸をする。肩から手をブラブラするなど…

「血」が滞ると、ろくなことはありません。
「気」も滞りますし、免疫力も低下します。疲労も取れるのが遅くなります。気持ちまで、どんよりしてきます。
「気」も「血」もサラサラ、気分もサラサラは、健康の必須条件ですね。









テーマ : 健康
ジャンル : 心と身体

2010-01-08

那智勝浦

あけまして おめでとうございます。
年明け早々、和歌山は勝浦に行ってまいりました。
お友達のご実家が、民宿をされていて、そちらにお世話になりました。
民宿「わかたけ」さんと言うのですが、アットホームで、家族全員温かく親切な方々で、ほっこり楽しい旅をさせていただきました。
ありがとうございましたm(--)m
四方が海や山に囲まれていて、食べ物は美味しく、景色も壮大でした。古道を歩くにも、海水浴や釣りにも、温泉にも恵まれている環境なので、素晴らしいところです。
熊野古道を歩くには、とっても便利な場所です。

勝浦の海
熊野
熊野の山
大木

那智山に登り、那智大社→三重の塔→那智の滝を巡り…
チア舞台 137
那智大社
那智大社
ふくふくした表情
ふくふくした表情
三重の塔
三重の塔
那智の滝
那智の滝

太地町のクジラ博物館へ行き、イルカショー
イルカショー
シャチがこんなに浅瀬まで…
シャチがこんな浅瀬まで…
クジラに餌付け
クジラの餌付け?!

年始から、盛りだくさんの旅でした。

クジラ博物館では、クジラ頭の先から尾の先まで、歯やひげや皮に至るまで、私たちの生活に驚くほど利用されていることを再確認しました。
マージャン牌、印鑑、薬、ワックス、食用、靴… びっくりするほど私たちは、クジラにお世話になっているようです。
以前、ニュースで、「クジラを採るな!」などという運動を太地の町に向けて発信している運動を目にしました。
でも、この町の人たちは、どこの誰よりもクジラを愛し、クジラを大切にされているんじゃないかと思いました。
お腹一杯の旅で、リフレッシュしましたので、今年もまた頑張っていきたいと思います。
今年もよろしくお願いいたしますm(--)m










プロフィール

そわか

Author:そわか
大阪で、気功、整体、内観研修を行っています。
現代人に多い、ストレスや、自律神経に焦点を当て、心と身体の両面からアプローチする方法で、日々施療を行っています。
また、記述式内観という方法で、トラウマや人間関係や子育てにおける悩みの部分を解決するべく、本来の自分らしさを取り戻しポジティブに生きるといった研修を行っています。
2人の娘を持つ、ママヒーラーです。

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