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2009-11-27

視界

先日、三重県の御在所岳に登りました。
偉そうに、登ったと言っても、ロープウェイでです(^^;)
標高1200Mくらいの地点で、見晴らし台があるのですが、南は伊勢湾、北は、伊吹山、東は天気が良ければ富士山まで見えるとか… 天気はかなり良かったのですが、この日は富士山は見えませんでした。 それでも、気持ちが洗い流されるような、爽快な景色でした。

山の中腹までは、紅葉が残っていました。
木々の間から差し込む日差しが、絶妙な色合いを醸し出していて、「あ~日本に生れて幸せだな~」と、うっとりしながら、十二単の着物の模様の中に入り込んだような景色でした。

山上近くからは、徐々に木々が葉を落して、もう冬の準備をしているようでした。
冬にも来てみたいな~と思いましたが、「これ以上寒くなる?」と思うと、ちょっと覚悟がいるな~(^^;)って感じでした。

見渡せる景色は、山や海ばかりではなく、市街地も見えました。
私が住む大阪ではありませんが、あの小さく見える高いビル、高速道路、住宅の密集地…
その中で、想像するに忙しい時間を過ごす人たち…
自分もそんな真っただ中に、さっきまで浸かっていました。
なのに、妙に懐かしく感じ、まるで、パタパタと動いている自分を、上から見ているかのように思いました。

「不思議だな~」
人って、高い所に登ると、なんだか気持が軽くなるような…

目の前に直面する出来事が、その場に居ると、巨大な問題に見えるのに、すこし離れた場所からみると、そんなに大きな問題でないかのように感じたりします。
視界が変われば、不思議と 「見えるもの」が、違って映ることがあります。

昆虫の眼をご存じですか?
「複眼」って言うんでしたっけ。
トンボなどは、六角形のレンズの視界が組み合わさって、ちょうどパノラマ写真を輪にしたような視界に映るそうです。「見えにくそう~」って感じですが、それは、人間の感覚ですもんね~。
ちなみにエビやカニは、四角形のレンズが組み合わさっているとか…
レンズが丸でなく、六角形なのは、組み合わさった時に、隙間がなく埋め合わせられる形だからだそうです。丸だと、組み合わす際に隙間ができてしまうからだと考えられるそうです。
また、海の中に生きるエビやカニなどは同じく複眼で、レンズが四角形でも大丈夫なのは、海の中では、私たちが生活する視界とは違う感覚を重要に使って生きているからのようです。
トンボにしても、カニにしても、他の生物にしても、光の波長を手がかりに生きている要素が大きいようです。
他の生物たちは、人間が眼に頼っている部分の視覚とは、違う感覚で眼を持っていることは間違いありません。

それぞれの環境で生きていく上で、重要な情報を感知できるように、それぞれの生物の器官が形成されているんでしょうね~。

人間は普通、紫外線や赤外線などは目に見えません。
大昔は見えたのかもしれません。
トンボなどの昆虫は、この紫外線や赤外線が見えていると言われています。
きっと木や花も、人で言う視覚とは違う形で、紫外線や赤外線を感じて生きているんでしょうね~
生命を維持するために、とっても重要だからでしょう。

話がそれてしまいましたが、見る者、見る角度、見ようとする物によって、現実が変わってくると言いたかったんです。
人間の場合に、もう1つ、付け加えるなら、「心」です。
同じものを見ても、「心」の状態によって、「見えるもの」が違ってくると思います。

って、言い換えれば、「心」が、現実を変えるんじゃないかな~(^-^)
















 












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2009-11-24

トマト

花や野菜が育つには、基本に水と日光が必要です。
種や土も、もちろん必要ですが、「苔」や「水草」、「もやし」のような植物もありますね。

季節はずれではありますが、例えばトマト…
トマトは、春に種をまき、夏に実が生る植物です。
育てたことのある方は、ご存じの通り、梅雨の時期などに多量の雨に当たると、病気になってしまうんですね~。 
また、日照り続きで、雨がさっぱり降らないと、実が弾けて、破れたトマトになってしまうんですよね~。でも、ギリギリまで水を与えないで、頃合いを見て水を与えると、トマトが喜んで水分を吸収して、おいしいトマトができると言います。 
プチトマトなんかは、比較的簡単に育てられますが、大きなトマトは、なかなか難しいと感じます。
自然にまかせていれば、日光量、雨量などで、害虫の発生や、病気の発生なども関係してきます。
また、やっと緑の実が生り、赤く色付くまで何日も待って、やっと明日あたり食べごろで収穫かな~っと、楽しみにしていると、真っ黒のトマト??? 目を疑いたくなる光景ですが、カナブンなんかが何十匹も寄って集ってトマトを覆い尽くし、一足先に食べられてしまったりとか(TOT)
食べごろは、虫もよく知っているんですね(^^;)

そんな訳で、普段何気なく口にする野菜や果物は、まさに、大地と太陽の恵み。お百姓さんの労力の賜物だと思います。そして、それ以前に、1つの生命であります。実(じつ)にありがたいことです。

まぁ、2児の母としましては、子供を育てるのも、野菜と似たようなとこがあるかな~?っと(^-^)♪

品種改良をされたような、良い苗と良い苗の交配で育った苗であっても、日光がなければ育ちませんし、水や肥料の与えすぎも、与えなさすぎも不調を招きます。
その苗、その土、その環境に応じて、必要なものを、必要な量摂り、生命は我(親)のみの物ではなく、天の恵みであること、様々な天の恵みによって生かされていることを忘れてはいけないな~と思います。

おいしいトマトと言うのは、人間の味覚と言いますか、感覚でありますが、1つの植物として見てみますと、その実が大きいもの、小さいもの。すっぱいもの、甘いもの。赤みの強いもの、黄色みのあるもの。丸ぁるいもの、四角いもの、ひょうたんみたいな形をしたもの。それぞれが、個性のあるトマトです。
人が口にすることを前提に育つトマトは、色、形、味などによって分類、評価されますが、植物としてのトマトは、虫に好かれて食べられたトマト、葉っぱの裏側で、小さく育ったトマト、日当たり良好で弾けたトマト、実が全く生らなかったトマトの苗も、みんな立派なトマトです。
みんな、天の恵みを受けた、トマトです。恵みを受けずに育つトマトはありません。

今、子育て中であっても、これから子育てするとしても、すっかり大人の自分であっても、天の恵み、親から恵みを受けて、育っているんですね~。




















2009-11-20

景色が変わる

雨があがった次の日に、お決まりの、湧水を汲みに山に登りました。

日常の生活の中では、季節の変化は、体感温度や、湿度などで主に感じます。
スーパーに行って、たまに旬の食材を目にし、「もう秋か~」とか「そろそろ春だな~」なんて思うこともありますが、最近の便利な日常では、わりあい色んな食材が、季節を越えて、口に出来るようになっているので、比較的都会の大阪では、やはり季節の変化は、気温で感じることが主です。

山に登ると、やっと最近、大阪でも紅葉を見かけるようになりました。
それでも、赤くなる葉は少なく、黄色く変わり、茶褐色となっていく葉がほとんどです。
私は、晴れ続きの山より、雨上がりの山が何故か好きで、雨があがるとそのタイミングに登りたくなります。

景色が違って見えるんです。

数日前は、いつもと同じコースを歩いているのに、滝の横に立っている細い木が、遠くから見ると、白や黄色やオレンジや紫色の花束に見えました。よくお供えにする、菊の花のような光沢のある深い色合いです。誰かが、祠でも建てたかな?と目を疑うくらいに煌びやかで、近づいて行きましたが、結局、黄金色や紅葉めいた葉が、雨上がりの露や、滝が太陽と交わる光の屈折で、そのような幻想的な色合いとして、目に映ったようでした。不思議な光景でした。
何度見ても幻想的で、写真に写してみましたが、写真では映し出すことは不可能でした。

また別の日には、落ちた太い木の枝から、煙が立ち上っていて、「え~~?!かぐや姫でも出てくるか?」と驚きましたが、気温が下がった夜が明け、朝、気温が上がることによっての温度差で生じた煙のようでした。冷凍庫から、凍ったお肉や魚を取り出した時にでる湯気のようなものと同じ現象ですね。
そんな具合で、自然が織りなす情景には、単純なことが、とても幻想的に見えたり、神秘的に感じたりします。日常の都会の生活の中では、なかなか感じられにくい感動的な体験です。

いつもと同じ毎日なのに、今日はいつもより、すがすがしいな~♪とか、逆になんだかイライラするな~(~。~)なんて思う日がありませんか~?
まぎれもなく同じ毎日のはずなのに…

すがすがしい日は、身体の「気」の流れが、比較的順調に循環していると思います。
また、イライラする時は、身体の「気」の流れが、調子を崩しているようです。

気功施術をお受けになった方の中に、「自分は健康で、身体の調子が良いと思っていたけれども、受けてみて改めて感じてみると、実は肩が重かったんだな~自覚がなかったけど、軽くなった!」というようなことを言われる方がいらっしゃいます。

「気」の乱れというものは、なかなか自分で感じることにピンとこないかもしれませんが、普段60Wの電球の明かりを感じていて、「これが普通だ!電気もつけているし明るいよ!」と思っていたけど、電球が100Wに変わると、「あっ、明るいな~!」と感じるような感じでしょうか…

いいことがあった後、スポーツで汗を流した後、何か山場を越えた時などに、同じ景色、同じ環境をみているのに、なんだかすがすがしいような、背が少し伸びたような、いつもと違った景色に見えることがあります。
目の前に見る景色や、環境は、自分の心の状態の表われかもしれませんね。







テーマ : 自分にできる事から
ジャンル : 心と身体

2009-11-17

イチブとゼンブ

時々、自分を隠す自分が嫌になることがあります。
通常は、人の心の中というものは、他人には見えません。
ポーカーフェイスと言う言葉があるように、他人からは全く何を考えているのかわからない人もいます。

ポーカーフェイスと言うのは、自分の心の中を悟られないように行動をとったり、表情を隠したりすることなので、自分自身が何を考えていて、何を隠そうとしているのかを、わかっていると思います。 でも、私が「嫌だな~」と思うのは、自分自身が、自分を隠す時です。
「よぎった」ことを、意識しない時です。
自分の心を、見て見ぬふりをするような時ですかね~(-O-)

そういうときは、その時にはあまり気付かないんですよね~
あとあと振り返ると気づいて、穴があれば入りたくなるのですが(^^;)

私は、たま~に、ゴルフをするのですが、練習場では、まずまず上手くいくんです。
ゴルフ場のコースに出て、素振りをしても、まずまずいい感じかな~なんて(^^)♪
しかし!実際にボールを打つと、「あれれれ?」 思うようにいかないんですね~
これは、ゴルフをする人は、ご理解いただけると思うのですが、無意識に、力んでしまうんですね。
他のスポーツやなにかでも、共通することがあるかと思いますが、心が「無」な時は、無駄な力が抜けていて上手くいくのに、「よ~し!やるぞ~!」って思うと上手くいかない。
また、応援団やギャラリーなんかがいる時には、色んな緊張やプレッシャーなんかが生じてきたりして、いつも以上にドキドキしたりして…
「あ~大丈夫!大丈夫!」「平気!平気!」って思ってることこそ、動揺している表れだったりして(^^;)

まあ~、そんな感じで、自分を「わかっている」つもりでいて、わかってないこと沢山あって、「トホホ…」と思うときが、しばしばあるのです。

一層、心の中が、人から丸見えだったら、お世辞や、いらない気使いも必要なく、ありのままで楽になるんじゃないの~
と思ったりしますが、急にそんなことになれば、それはそれで、人間関係などでも、色んな問題になるでしょう。
心の中が、他人に見えないから、人はあれこれと想像や思考を広げてしまうんじゃないかと思いますが、そうすることによって、人間関係のバランスを取っていることも、事実ですからね~

人間以外の生物は、心と行動が、ほぼ同じだと思います。だから、ありのままに生きて、不安や心配ごとも、ほとんどないと思います。
でも、人間は、あれこれ考えたり、悩んだり、言葉や行動を選択するという術を持っています。
ある意味、そこが、他の生物にはなく、人間が学びとして、この世に生を受けた理由のヒントなのではないかとも思います。

人間は、「心」と行動、言動は必ずしも同じではない。と書きましたが、その「心」自体、「心」=「自分」ではない場合もあるんですね。

自分の中の奥底から湧き出る「思い」。これが、本当の今の自分の「心」なのか、定かでないことが、しばしばあるのです。
心の底から湧き出る「自分」と、「心」が、本当に合致したときは、心底湧き出る幸福感に満たされます。でも、まだまだ私には、今日まで生きてきた、常識という名のものや、世間での幸福という名のものに、左右されずに生きることは出来ません。
自分を隠す自分を、見抜けないことが、まだまだあるのです。

「よぎる」思い。「よぎる」感情は、自分の中のほんの一瞬で、一部に過ぎず、見過ごすことも出来ますが、この見過ごしてしまうような一部が、自分という全部を作っていることは、まぎれもない事実です。

決して、悪だくみを企んでいると言うのではありません(^-^)!! 
普段の生活の中で、「面倒くさいな~」って思う事や、「いいことだ!」って思いこんで、疑わないこと。行動しないことに自分で理由をつけてしまっている事柄。
こういう類のことに、自分が隠れていることに気づくとき、「嫌な自分をみつけちゃったな~」って思い、反省するんです。
それが、意外とあるんですよね~ まだまだ、青二才(^O^;)




















2009-11-14

ストレス

世の中、ストレスだらけだな~と感じます。
「風邪は万病の元」 と言いますが、この「ストレス」も万病の元であると感じます。

家の問題、親の問題、夫婦の問題、会社関係、近所関係、お金の問題、将来の不安、子供の心配…
悩みごとを挙げると、数知れず…
それに加えて、騒音、空間、臭い、干渉…など、個人のプライバシーや、領域を侵害されることへのストレスもありますし…

ストレスがその場で解消されず、次の日、また次の日、翌月も、半年も抱えたままでいますと、多くの人は、何かしらの不具合を体に受けたと感じられます。
心と身体が、別々のものではないことを、感じます。

「寝つきがよくない」「眠りが浅い」「肩が凝る」「首が凝る」「腰が痛い」「耳鳴りがする」「ガスがたまる」「トイレの感覚が短くなる」「痺れ」「難聴」「うつ」「頭痛」「動悸」「めまい」「かゆみ」…
原因が特定しにくいような、様々な症状が表れてくるようです。

これらを一気に解決するには、究極は「許し」ではないかと思います。

何年も、何十年も症状に悩まれている方が聞いたら、「バカヤロウ!そんな簡単なもんじゃない!」と、叱られるかもしれませんが、「許す」というのは、他人のことに限らず、自分のことも許すことだと思うのです。

「ストレス」社会といわれる現代社会では、ほとんどの人が、この「ストレス」を経験していると思いますが、、その状態が長く続いたりすると、これらの症状に悩まされていくようです。優しい方、責任感の強い方、自分が引き受ける方が、多くいらっしゃいます。また、想像力が活発に働く方も多くいらっしゃるように思います。

自分と全く同じ状況に、ある他人が置かれたとしても、その他人さんは、自分と同じストレスで悩むことになるかと思うと、そうでない場合があります。
つまり、ストレスを感知する基準値が、人それぞれ違うということです。

「ストレス」を感知する基準値は、育った環境の中で形成されていくものだと思いますが、ストレスから、逃れるには、①環境を変えていくか、②ストレスを感知する基準値を変えていくか、③対象が人であれば、相手を変えていくしかありません。しかし、相手を変えるということは、多大な労力が必要ですし、必ずしも努力が実るとも限りません。そして壮大な時間が必要となってきます。
一番手っとり早いのが、自分の基準値を変えることではないかと思います。

「なんで悪くない自分を変化させなきゃいけないんだよ~!」と思いますが、これまで、ある「ストレス」に対して様々な努力をしてきて、それでもどうしようもなく、いよいよ体に気になる症状がでてきたというならば、このままの状態で辛い症状を引きずって重くしてしまうよりは、マシじゃないかな~と思うのです。

他人や自分を許すことが出来ていけば、ストレスを感知する基準値も変わってくると思います。
他人よりも、まず自分を許すことから始めてはどうかと思います♪

例えば、疲れたときには、一休みする。
休んじゃいけない!とか、横になると他人に目が気になる。とか、取り残される!とか、迷惑をかける。とか、自分を休めることすら許されないと思う方が多くいらっしゃいますね。
「休む」ということに対しても、多くの想像力が活発に働いてしまいますが、可能であれば、一休みして、回復した時にまた頑張ればいいかな~なんてたまにはどうですかねっ(^-^)。
また、休みやすい状況を、普段から作っていく努力も無駄ではなく、大事なことかと思います。
本当に「休めない」状況なのか、「休めない」と思い込んでしまっている自分がいないか、思い返してみると、案外「休めない」と思い込んでしまっている自分に気づいたりすることもあると思います。少しでもそう思ったら、「少し頑固だった自分」「自分に厳しい自分」もしかしたら「他人にも同じ基準を求めている時がある自分」が居ないか考えてみてください。そんな自分が見つかった時は、大ラッキーです!! 「そっか~、自分ってそう思ってたんだ~」 「ってことは、休めるかもしれない!」ってね。
「休めない」と考えていた、自分に厳しくしていた自分を、もっと許してあげてはどうでしょう(^-^)~
「今さら休めない?」だめだめ、その思い癖が要注意ですよ~! スーパーマンでない限り、たま~には、体と一緒に心も安めないと、生身の人間ですからね~

ストレスは、「休めない」だけの単純な問題だけではありませんから、他人にはわかるはずのない複雑で難しい問題が多々絡み合っていると思います。
でも、一つずつ、目の前の単純なことから「自分を許す」作業を始めて行ってはどうでしょうか?
「拭ける窓から拭く」という作業ですね。

「~~じゃなきゃいけない!」
「~~じゃないからダメ!」
本当にそうでしょうか?
もっと、も~~っと、自分も他人も緩めて見てみたら、楽になることもみつかるんじゃないかと思いま~す(^-^)










テーマ : 心と幸せ
ジャンル : 心と身体

2009-11-10

朝のリレー

「朝のリレー」

カムチャッカの若者が
キリンの夢を見ているとき
メキシコの娘は
朝もやの中でバスを待っている
ニューヨークの少女が
ほほえみながら寝返りをうつとき
ローマの少年は
柱頭を染める朝陽にウィンクする
この地球では
いつもどこかで朝がはじまっている

僕らは朝をリレーするのだ
経度から経度へと
そうしていわば交替で地球を守る
眠る前のひととき耳をすますと
どこか遠くで目覚まし時計のベルが鳴ってる
それはあなたの送った朝を
誰かがしっかりと受けとめた証拠なのだ
                谷川 俊太郎作

中学1年の娘の教科書に、こんな詩がありました。

地球の上の各地が、次々と朝をむかえることを「朝のリレー」と言う題名に例えて表現されているんですね。

①地球上で朝にリレーするものは? 
という言う、先生からの問いに、娘は「回覧板」と答えたそうです。
ウケを狙ったわけでもなく、真面目にで答えたそうですが…
国語力の弱さに、行く先が心配です(*O*;)

しかしながら、一夜のうちに一周してくる太陽さんは、すごいですね~
毎日、欠かさず現れては、恵みをくれて、またお隠れになる。
お隠れの間中も、休んでいるわけではなく、どこかで恵みを放っておられる。
暑い夏には、少しくらい隠れていてくれないかと思うこともあるけれど、真冬に日向に出ると、わずかな光にありがたさを感じます。
そして、朝陽はどことなく希望に満ちていて、夜のうちにサッパリ洗い流してきてくれているような…
そして、夕陽は今日の数々の出来事を、洗い流しに持ってってくれるような…
そんな気がするのは、単純な私だけでしょうか?

でも、そんな太陽みたいな人、まわりにいませんか?
なんだか、その人に話すと、スッキリする。
一日の辛かったことや、悔しかったことが、忘れられる。
その人と居ると、なんだか安らぐ~
みたいな存在。
子供だったら、お母さんかな~
恋人だって人もいるでしょうね~

だれかの太陽に、なれたらいいですね~













2009-11-06

エコで再生

半月前のことです。
小5の娘が、指を切りました。

おじいちゃんの大工仕事を手伝っていたときのことでした。
カッターナイフで、発泡スチロールを切っていたそうです。
再三、「気をつけてや~」と言いながら、使い方も指を切らないように説明していたらしいのですが、慣れた頃に「スパー」っとやってしまったのでした。

私は、電話で知らせを聞き、「そっか~やっちゃったか~」と受話器の向こうの娘に、心配な気持ちをグッと抑えて、娘の様子をうかがいました。
娘は、思った以上に凹んでいた感じでしたが、「まあ~仕方ないな~」と思い、とにかく帰ってきたら傷をみせて!と言って、娘の帰りを待ちました。娘は、和歌山県まで出かけていたので、戻るまでに2時間以上かかりました。
帰ってきた娘は、こらえていた涙が一気に溢れ出た感じで、しばらく泣いていました。
土曜日だったので、お医者さんは閉まっていたので、急遽、薬局で薬を買い、応急処置をして帰ってきたのですが、痛がる娘の指を見てビックリ!!
「え~~先っぽ無いやん!!」
それでも、私が驚くと娘は余計に不安がると思ったので、「ばい菌がはいるといけないので、一応、お医者さんに診てもらおう~」と冷静を装いながら言って、そのまま娘を連れて、救急病院にかけつけました。
ケガをしてからは、4時間近く経っていました。
お医者さんは患部を見るなり「指先は持ってこなかったの?」「なぜ救急車を呼ばなかったの?」といわれ、その言葉で、改めて傷の深さを実感しました。
痛くて痛くて傷の処理も出来る状態ではなかったので、痛み止めの座薬を入れて、処置することになりました。薬が効くまで私たち親子は、「ヒ~ヒ~フ~」と、まるで「ラマーズ法」で、痛みを乗り切ろうとしていました。それでも、かなり叫びながら、処置を終えました。
「皮膚が欠けているので、縫い合わせることも出来ないから、皮膚が盛って来るまで待たないとね~おそらくかなりの期間がかかるよ~」と言われ、当分、毎日通院するように言われました。
病院を出る頃には、気持ちは落ち着いたものの、痛みはまだ完全に治まるはずはなく、ブルーな空気で家に戻りました。

今の私が、娘にしてあげられることは、当分の洗髪や体を洗うこと。そして気功です。
私は外科医ではないので、ケガの処置は出来ませんが、少しでも痛みが和らぐようにと、気功によって、ケガのショックを和らげること。自然治癒力を高めることです。 熱が出た時に、親がおでこに手を当ててくれると、不思議と落ち着き、眠りにつけるような…それに似た感じですかね。

あれから2週間…
今、指は肉が盛り、バンドエイドで保護している状態です。
結局、お医者さんには5日だけ通いました。
当初、三角巾で肩から手を吊るしていましたので、かなり軽武装になりました。

さすがは、子供!!
そさまじい速さの治癒力です。
人間の血は、すごい!と改めて思いました。
ケガをすれば、直ちに集まり、細菌と戦い、固まり、元に戻ろうと肉を盛り、皮膚をはる。

そして皮膚は、教えられたわけでもなく、元の形を形状記憶しているかのように、どんどん元の形にもどってきています。指が、三角になっても、四角になってもおかしくないのに、あたりまえかもしれませんが、元の形にもどることに、不思議だな~うまくできているな~と感心しました。

ケガにしても、病気にしても、治癒力が最大限に発揮できれば、鬼に金棒のようです。
歳を取ると、傷が治りにくくなる。いつまでも治らないと言います。確かに子供の頃に比べると、治るスピードは、ゆるやかになってしまいます。それから、血行不順による様々な不調、冷え性なども、どうやら回復力を遅らせる原因になることを実感される方も多いと思います。信じがたいことかも知れませんが、精神的な要素も加わり、「病は気から」と言います様に、「治る」と信じることも、治癒力の大きな助けになることも、最近の研究で立証されています。それは、血や細胞など、体を形成しているものは、脳からの指令によって働きを起こしているのですから、納得です。
「恋をすると、きれいになる(O^-^O)」と、いうのも、「気」から来るものでしょうね~。
ときめいた心が、脳に刺激を与え、細胞やホルモンの動きをうながし、湧き出るような輝きをはなつのでしょうね~♪
「気」を、うまく扱えば、「美容」も「健康」も、高いお金をかけずとも、ゲットできますね~!
自分が本来持ち合わせているものを、有効利用するのですから、今の時代にピッタリのエコだと思いませんか~(^O^)♪




テーマ : 医療・病気・治療
ジャンル : 心と身体

2009-11-03

探しているもの

「何しに来たっけ?」
台所に、「何か」を取りに行った」んだけど、何を取りに来たのか忘れてしまったな~。
元の場所に逆戻りしたけど思い出せない。
やれやれ、再び行動をもどすと、「あっ!」そうだ!醤油を取りに行ったんだっけ!!
たまにあるんですよね~(^^;)

前に、知り合いのおばちゃんが失敗談を話してくれたのですが、朝起きた時に、いつも2階から洗濯するものを片手に抱えて、1階に降り、そのまま洗濯機に洗濯物をドバッと放り込んで、お手洗いに行って用をたす。これが習慣だったそうです。
家の構造は、右にお手洗い。左に洗濯機置き場があるそうなんですが、当時のお手洗いは「ぼっとん便所」と呼ばれる汲み取り式のお手洗いで、便器には木のふたをしていたそうです。
ある朝、いつものように、洗濯物を片手に抱えて、洗濯機に入れるつもりが、先にお手洗いに行ってしまって、「あっ!」と思った時には、すでに遅し…木のふたを開けて、洗濯物をぼっとんと投げ込んでしまったそうです。その後の始末は、聞いていられない大変さでした(+O+)

この手の失敗は、寝ぼけていたのでしょうけど、たいていは無意識状態のときに、起こしちゃうんですよね~
「カギどこやったっけ?」
「携帯電話、置いてきたかな~」
なんてことも、おっちょこちょいの私には、しばしばあります…

無意識に行動すると、探していたはずのものが、意識しないと「思い出せない」。考えないと「思い出せない」ことになってしまうんですね~

でも、人っていつも何かを探しているような気がします。
それは、生まれたときから、常に。いつも。

「おぎゃ~!!」と生まれた瞬間のことは、私は記憶がないんで覚えていませんが、赤ちゃんは、何かを掴もうとしているのか、探そうとしているかのように手足を動かし、指を握るような動きをしています。
泣く目的は、「お腹がすいているのか」「甘えているのか」「お尻が気持ち悪いか」「どこかが痛いか…これらの欲求を満たしてくれる人を、探しているように思います。いや~人という観点より、もっと広い意味で、「愛」かな~なんて…(^-^)

お腹の中では、母親のぬくもりを感じ、守られて過ごしますが、ひとたびこの世に誕生した暁には、急に1人になるんですから、不安なんじゃないかな~怖いんじゃないかな~と思います。
呼吸方法も、急に変えなければいけないし、栄養の摂取方法も、急に変わりますしね~。密着していた体の回りの液体も、生まれた瞬間から気体に変化するわけですから、パニック!ですよね~
今、逆のことをするよ! と言われても、無理(*O*)!!って感じです。
それでも、生物はみんなこの過程を過ごして生きているんですね。

夏に鳴く蝉は、土の中で大半を過ごし、余生を陸上で、羽根まで生えた状態に変身して過ごします。土の中での姿とは大違い。生活も大逆転!
「あ~土の中は、良かったな~。冬は暖かく夏は涼しいし、わざわざ飛ばなくてもいいし、人間に捕まることもなかったのにな~」なんて事は、多分思っていないと思いますけど…

人間の赤ちゃんだって、「肺呼吸は、面倒くさいな~ お腹の中だったら、食べるも出すも自由だったのに~」なんて思っている赤ちゃんは居ないと思うんですけどね~

病院での通常出産では、産まれてすぐに、あれこれ必要な検査を受け、健康状態をはかり、赤ちゃんルームで寝かされます。
産院に行くと、数人の生まれたての赤ちゃんがスヤスヤ眠っていますね~「かわいいな~~」 「ぐっすり眠っているな~目を開けてくれないかな~」。でも寝ないとやってられないのかも!!

赤ちゃんにとって出産は、多くのストレスを生むきっかけになったりするそうです。
母体から出たあと、赤ちゃんは急に途切れてしまった母親との絆を探すそうです。でもたいていは、しばらくお母さんと離れてしまいます。
出産時の痛みや、ショックも、赤ちゃんにとってはトラウマとなって残ることもあるそうです。
バーストラウマと言うそうです。

日本では、このあたりの情報について、少々遅れているように思います。産まれたばかりの赤ちゃんには思考や記憶がないと考えられているからでしょう。でも、最近では、出産時におけるトラウマが、成長において様々な影響を与えるといった研究も進んできているそうです。
これから出産を迎える方の産院選びにおいては、「出産時における赤ちゃんへの影響」のことも配慮してくれるということもポイントに入れるのもアリかな~と思います。

さて、赤ちゃんのころから探しているその「探しているもの」ですが、目の前の「ミルク」であったり、「おもちゃ」であったり… 
たとえば「おもちゃ」に手をのばしたとします。その時、まわりの大人が「ダメ!!」と叫んだとします。
赤ちゃんは、「自分が情熱に手を伸ばすと、さえぎられる」と、ときに、認識します。
度重なりこのようなことが起こると、神経回路は、完全にこのパターンを認識します。
このように認識してしまった赤ちゃんは、物事に情熱を持つことを好まなくなるそうです。自分が情熱を持っても意味がない。と認識してしまうからです。
「こんなのやっても意味がない」、自分は「無気力だ」。なんて思うことが多い人は、もしかして、古い昔の記憶の影響が残っているのかもしれませんね。また親は、ただ、「ダメ!!」と言うだけでなく、「ダメ」の理由をきちんと伝えてあげるといいかもしれませんね。

またまた話が飛んじゃいますが、以前確か8月のブログで紹介した「死にたい~」のおじさんですが、以前は、口を開くと「死にたい」「死にたい」と言っておられました。気功をお受けいただいてから、しばらくしてからは、「生きたい」「生きたい」と言われるようになりました。ひとまず良かったな~って思ったんですが、「生きる」ことを考え始めると、今度は「淋しくて淋しくて仕方がない」という悩みが出てきた。「どうかこの淋しい思いを消せないか」と、おっしゃいました。

表面に出ている言葉では、「死にたい」→「生きたい」→「淋しくくて仕方ない」と変化していて、一見真逆の「想い」の変化のように思いますが、深い深い心の奥底で「探しているもの」は、どの言葉も同じじゃないかな~って思います。

生まれる前のことは覚えていませんが、この世に生を受けてから、老いに向かい、死を迎えるまで。健康な時も、病める時も、嬉しい時も、悲しい時も… みんな「これ」を探しているんじゃないかな~って思います。
時に、「母のぬくもり」であったり、「おもちゃ」であったり、「お金」であったり、「家族」であったり、「若さ」であったり、「友達」であったり…求めるものの姿や形は、人によっても時期によってもそれぞれ異なりますが、やっぱり本当は「これ」? 「愛」?
なんだか照れくさくって、「えぇ~~?」って感じですが、この「愛」自体も、人によって定義はそれぞれですからね~ 言葉というものは、便利ですが、「嘘」になってしまうこともあります。難しいところもありますが、ニュアンスでご勘弁を…(^^;)




































テーマ : しあわせの素
ジャンル : 心と身体

プロフィール

そわか

Author:そわか
大阪で、気功、整体、内観研修を行っています。
現代人に多い、ストレスや、自律神経に焦点を当て、心と身体の両面からアプローチする方法で、日々施療を行っています。
また、記述式内観という方法で、トラウマや人間関係や子育てにおける悩みの部分を解決するべく、本来の自分らしさを取り戻しポジティブに生きるといった研修を行っています。
2人の娘を持つ、ママヒーラーです。

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